はたしてPRパーソンは「わかりやすい物語」を紡ぐべきなのか?――『和樂web』編集長・高木史郎さん
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企業ブランディングにおいて「ストーリーテリング」の重要性が当たり前のように語られるようになりました。ステークホルダーとの関係構築という役割を担うPRパーソンにとって、企業が持つストーリーを広く伝えるために、より「わかりやすく」編集する力は、今後欠かすことのできない素養のひとつです。
しかし、複雑で深みのあるストーリーをわかりやすさの軸で分解し、余白を削ぎ落としてしまうことは、本当に伝えたい魅力やメッセージを伝え損ねてしまうリスクを伴います。
複雑な魅力の象徴ともいえる日本文化をテーマに掲げ、ユニークなアプローチで読者との関係構築に取り組んでいるのが『和樂web』編集長の高木史郎さんです。今回は高木さんが、複雑な日本文化の魅力を伝えるすべをどのように捉え実践されているか、お話をうかがいました。
Profile
高木史郎 Shiro Takagi
和樂web 編集長。
大学卒業後、大学院を目指すも受験に失敗。自暴自棄になって2年ほどバックパッカー生活を送る。テレビの制作会社を経て小学館に入社。ファッション誌に配属されてカリスマモデルの愛犬を担当。その後雑誌和樂に配属されて16年、雑誌や写真集の編集に携わる。最近web専任となり日々心が折れている。モットーは「馬鹿馬鹿しいことを真剣に」。プロレス好き。
実用性重視のインターネット上で、“無駄なもの”を集めて熱狂を生み出す
─ 高木さんは長く雑誌『和樂』の編集を担当され、編集長を3年間務めてこられました。今は『和樂web』編集長としてウェブコンテンツに注力されていますが、どのようなところに雑誌づくりとの違いを感じられますか。
高木史郎さん(以下、高木):とにかくウェブはなんでも数値に置き換えられ、丸裸にされるところが恐ろしいな、とつねづね感じています。雑誌は、反響といっても「『和樂』に載ったのを見てこの品を買ってくれた人がいましたよ、ありがとう」という程度で、エンゲージメントもコンバージョンも曖昧な、ある種牧歌的な世界でした。そんな世界に長く携わってきて、50歳手前で突然ウェブの世界に放り込まれて……。一挙手一投足を見張られているような気分ですね。
たとえばタイトルを変えるだけでPVが激変するのが目に見えて分かるという点などにおいて、ウェブの世界にはまったく無駄がない。だからこそ僕は『和樂web』で、無駄なものばっかり集めてやろうと思っているんです。
─ 無駄なもの、ですか。
高木:そう、実用性のないもの。もともとウェブは、広大な情報の海から実用的な情報を取ってくるためのものだったと思うんです。女性誌でたとえるならファッションのコーディネートやビューティーのアイテム選びやメークの方法のような類の情報ですね。ウェブ登場以前のメディアは情報を独占できていたので、実用的な情報さえ発信していれば一定の読者も集まり、成立していました。
でもいまや、情報は民主化して誰でも発信でき、誰でもタッチできる時代です。ウェブリテラシーが成熟するにつれて、実用情報だけでは人を惹きつけられなくなってきました。
では人は何を求めているのか?それは、物語やメッセージなのではないかと僕は思うんです。
基本的に日本文化って、実用性という観点から見ると無駄なものですよね。あるのは知的な面白さだけ。その無駄なものが集まることによって、何か複雑なストーリーが編まれ、そこに人は熱狂するんじゃないかなと考えました。
そこで、知り合いのライターに声をかけたり募集をしたりして、日本文化について書きたいという熱量のあるライターを集めて、『和樂web』の中で自由に書いてもらうことにしました。
雑誌では自分の頭の中で1本の筋をつくって、伝えたいことを1冊にこめていたのですが、ウェブの場合は、僕は場を整えるだけ。「とにかく無駄なもの、役に立たないものを書いてくれ」とオーダーしています。
─ 確かに『和樂web』を拝見すると、いわゆる伝統芸能だけでなくさまざまな切り口があって、賑やかな印象を受けます。
高木:基本的には僕は、ライターからの企画に対してNGは出しません。SEOも捨てていて、タイトルもなるべくばかばかしい感じにしてくださいとお願いしています。たとえば、「秀吉の城が出土した」という記事のタイトルの頭に「ひ、ひ、ひ、」とつけてくださいとお願いしたりして。
これまでのウェブメディアのセオリーとは違うことをやっています。でもそういう突破の仕方をしないと、ウェブ上で“無駄なもの”を読んでもらうのは、まだまだ難しいですから。変なタイトルをつけ始めてから、急にアクセスが伸びたんですよ。
─ ライターさん自身が、楽しんで書いているのが伝わってきます。
高木:今は80名を超えるライターが集まり、Slack上でバーチャル編集部を運営しています。そのなかで、日本文化という無駄なものに関する小さな熱狂が生まれている状態です。
来年からは、この小さな熱狂に読者を巻き込んで、1000人、1万人という大きな熱狂をいかに生み出すかをテーマに展開していこうと考えています。
「日本らしさ」はひとつではない。多様性こそが日本文化のありかた
─ ひとつのテーマで角度や深さを変えて掘り下げていく雑誌に対して、ウェブでは多種多様な日本文化の魅力を見せているんですね。『和樂Web』によって日本文化の間口は広げられたように思います。
高木:「日本文化の入り口マガジン」というコンセプトは雑誌もウェブも同じなんですが、雑誌の『和樂』は女性誌の棚に置かれ、価格もそれなりにします。いくら面白いことを仕掛けても、残念ながらリーチは限られてしまうんです。
それに対してウェブでは「届ける」ハードルが下がって、かなりアプローチはしやすくなりました。ただ、日本文化が本来もつ複雑なストーリーをウェブで伝えるのは、相当しんどいものがあります。
─ 確かに、ウェブの世界では「わかりやすいコンテンツ」が重視される傾向は根強く、文化的・歴史的背景まで含めた日本文化を伝えるのは難しそうです。
高木:たとえば漆のお椀の良さを伝えたいと思ったとき、「漆には実用性や耐久性がある」など機能性を訴求することがありますが、実用性の話になると人工のラッカー塗料のほうが優れている点が多いんです。
では漆の器を選ぶ人は何を求めているのかというと、縄文時代から使われてきた歴史や、何度も何度も塗り重ねてつくる手間暇など、途方もない時間がそこに費やされているという物語なんですね。
複雑に絡み合ったストーリーこそが漆の魅力であり、そのストーリーも含めて手に入れたいと思うわけです。こういうストーリーは、単行本や雑誌なら届けやすいんですが、タッチする人は少ない。ウェブならばタッチ数は増えるけれど、わかりにくい要素が増えると読んでもらえない。どうしたらいいのか、日々頭を抱えているところです。
─ ジレンマですね。
高木:日本らしさといえば「侘び寂び」や「木のぬくもりを取り入れたデザイン」など、ステレオタイプのイメージだけが受け入れられているのが現実なんです。でも、そういうわかりやすいものしか届いていないというのが、個人的にはすごく悔しいんですよ。最近ようやくわかりかけてきたのですが、日本文化の魅力は、多様性、ダイバーシティにあるということです。
今の日本の基礎が成立したのは明治時代のことで、江戸時代までの日本は、300の小さな国が集まったゆるやかな連合体のようなものでした。だから5kmも離れれば言葉も文化も違う。「イタリアの革」といえばなんとなくひとつの顔つきをしていますが、「日本の布」といったら、地域ごとにまったく違うものなんです。
ただし現代では、日本文化が各地で多様性を保ったまま存続するのは難しい状況に陥っています。
─ 収益構造や後継者の問題に直面しているところが多い、ということでしょうか。
高木:そうなんです。僕はなんとかして、日本文化の多様性の維持に貢献したいと思っています。こういうメディアをやっているからには、社会的意義もきちんと果たしていくべきですから。
『和樂web』では月に200本ほど記事を出していますが、そこにはできる限りたくさんの日本文化の多様性を示したいという思いも込められているんです。
ストーリーの奥行きを感じさせる入り口をつくるには
─ 情報を効率的に広く伝えるためには、物語をわかりやすく単純化する必要性は否定できません。一方で、高木さんが目指しているのは、複雑なストーリーを切って捨てないコンテンツのつくりかただと感じたのですが、それを実践されるうえで気をつけていることはありますか。
高木:以前『和樂web』のライターと、普段の生活で意識することのない「日本の文化」を見つけようというワークショップをやったことがあるんです。テーマは「コンビニの中の日本」。
ひとつ例を挙げると、コンビニのおでんは、実は茶の湯からきているんじゃないかと僕は思うんですよ。
─ おでんが、茶の湯ですか?どういうことでしょうか。
高木:日本食は、お客さまの目の前で調理をするという文化を持っています。あれは客人の前で茶を点てる茶の湯のスタイルを踏襲しているといえます。
ではコンビニのおでんを入り口にして、「なぜあのようなスタイルで売っているのだろう?」と探っていくと、茶の湯のスタイルに結びつけることができる。
ほかにも、最近よく見かける季節限定の缶ビールから、「四季を愛する日本」という姿を浮かび上がらせ、『枕草子』までつなげることもできますね。そうやって複雑なストーリーを描きだすことができるわけです。
─ 身近な事象から日本文化へのつながりを示し、ストーリーの奥行きを感じさせることができるんですね。
高木:雑誌『和樂』の編集長を務めていたときには、「歌舞伎バーリトゥード」「茶の湯はロックだ!」といった特集を組んだこともあります。
歌舞伎特集は、当時担当をしていた坂東玉三郎さんに相談させていただきました。「歌舞伎はお客さまが楽しんでくださることはなんでもやってきた。だから生き残ったのだ」という言葉が印象的で。その考え方は格闘技の「バーリトゥード(「何でもあり」の意)」と同じだなと思ってつけたタイトルです。
歌舞伎ファンではない方に歌舞伎の魅力を伝えるために、ロックや映画、オペラ、あるいはプロレスの視点から歌舞伎をとらえるという試みをしました。
茶の湯の世界を確立した千利休も、すごくアバンギャルドな人なんですよ。そこに紐づけて、ロックの有名な歌詞を引用して茶の湯の世界を紹介してみました。
ただ、雑誌という形だからこそここまでの入り口づくりと深掘りができましたが、ウェブでそのまま横展開しても読まれないので、あと一歩進んだ工夫が必要ですね。それを今、考えているところです。
もはやオウンドメディアだけで完結させる必要もないのかもしれません。アカデミックなカルチャーとして日本文化を愛している人だけでなく、ポップカルチャーに親和性の高い人たちが集まるプラットフォームとして日本文化を楽しんでもらえたら、すごく嬉しいですね。
─ 意外性を含め、いろいろな方向から入り口をつくって、ちゃんと奥まで導くことができるストーリー構築が求められますね。
高木:富士山の登山口のようなもので、しっかりと入口さえつくることができれば、どこから入っても行き着く頂上は同じなんですよ。入り口からゴールへの道のりをどうやってつくるかは、読者が決めればいいと僕は思っています。
メディアのみならず、日本文化を「ライフスタイル」にまでつなげていく関係構築を
─ 日本文化の豊かさも、それを伝えることの難しさも肌で感じている高木さんから見て、日本文化は今後どのように受け継がれていくべきだと思いますか。
高木:僕は、ビジネス誌を読むような人にも『和樂web』に触れてもらいたいと思っています。というのも、昔から芸術や芸能は「パトロン」によって支えられてきたわけです。平安時代なら貴族、江戸時代なら武士や豪商が出資し、欲するものをオーダーしてきた。
でも今は個人のパトロンなど存在しません。職人たちは自分たちで収益を考え、商品を発案する必要に迫られています。本分とは違うことをやらざるをえず、失敗してしまうケースも少なくありません。
現代にあって日本文化のパトロンになってくれるのは、企業しかないんです。そう思って『和樂』では、企業とのコラボレーションに積極的に取り組んでいます。
たまたま僕はメディアカンパニーに属しているので、拠点はメディアですが、世の中と関わり合う方法は広がっています。『和樂』では最近、コラボ製品づくりや空間プロデュースなどを通して日本文化の発信を試みているんです。
─ この、日清食品さんのカップヌードルコラボ「縄文DOKI DOKIクッカー」、話題になっていましたよね。実物を見られて感激です(笑)。
高木:これ、59,800円なんですけど、10分で完売したんですよ。
この時代、「ちょっといいもの」をつくっても人は選んでくれません。突き抜けたもの、メッセージ性が強いものでしか入り口をつくれないし、ステークホルダーとの関係構築まで至ることができないんです。変なもの、無駄なものこそが、熱狂を生み出し選ばれるんだと思うんです。
ものが売れることで職人さんが潤い、私たちメディアも企業体として利益がとれて、コラボ先企業のブランド向上にもつながる。こういったビジネスモデルがつくれれば、日本文化が生き残る一助になります。
─ テキストコンテンツを飛び出して、日本文化へのタッチポイントを増やしていく、という試みなのですね。最後に、『和樂web』編集長としての立場を離れて、高木さんご自身にとって日本文化を広く伝えていくことへの想いをお聞かせいただけますか。
高木:僕個人としては、もう破壊的な衝動しかなくて(笑)。日本文化には、作法を知らないと入ってきてはいけないというハードルの高さが目立ちます。作法ももちろん重要ですし、文脈や背景を知っていたほうが楽しめるということもありますが、そうじゃなくてもタッチできるようにならないと消えてゆく運命にあると思うんですよ。
僕はプロレスが大好きですが、歌舞伎とプロレスは似ているんです。共通しているのは、あれほどの一流アスリートが「体を張る」エンターテインメントは、他にないということ。昔、アントニオ猪木は注目を集めるため、新宿でみずからをタイガージェットシンに襲わせ、警察沙汰まで起こしました。先ほどもお話した「お客さまを喜ばせるなら何でもする」精神ですよね。
メディアも、お客さまに楽しんでいただけるならなんでもしないといけないなと僕は思っていて。方法を固めることなく、人々のライフスタイルにつながっていきたいんです。そうやって、日本文化を取り巻く状況も含めて、変えていけたらと思っているんです。
枠にとらわれないコミュニケーションでメッセージを伝えていく
コミュニケーションに携わる者の多くが、数値化することやわかりやすく言語化することと、深みのある複雑なストーリーを伝えたいと思う気持ちの狭間に立たされていると感じます。「日本文化を伝える」という難題にチャレンジしている高木さんのお話をうかがっていくうちに、高木さんご自身も先の道を模索しながら進んでいらっしゃることを感じ、あらためて、簡単な答えなどないことを提示された思いでした。
そのなかでも印象的だったのは「お客さまを楽しませるためなら何でもあり」という言葉です。コミュニケーションの可能性をみずから狭めることなく、ときには枠を壊してみることも必要なのかもしれません。時には破壊的に、しかしあくまでステークホルダーと真摯に向き合いながら、丁寧にメッセージを伝えていきたいと改めて考えさせられました。(編集部)