「企業には“正しいストーリー”だけではなく、受け手の“誤読”が必要だ」コンテクストデザイナー渡邉康太郎さん
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PRにおいて適切な“文脈(コンテクスト)”の理解は欠かせません。コミュニケーションの瞬間といった“点”だけでなく、その前後、積み重ねによって関係性が構築されます。
東京とロンドンに拠点を置くデザインイノベーションファーム『Takram』には、このコンテクストを扱うプロフェッショナルがいます。コンテクストデザイナー渡邉康太郎さんです。
1冊だけの本屋『森岡書店』や、花と手紙のギフト『FLORIOGRAPHY』、石けんの中から手紙が現れる『Message Soap, in time』など、様々なプロダクトや“コンテクスト”をデザインし、その関係性をつくり上げてきました。
PRに携わる我々は、どのように“コンテクスト”と向き合うべきか。デザインの視点からコンテクストと向き合う渡邉さんにそのヒントを伺いました。
Profile
渡邉康太郎さん Kotaro Watanabe
Takram パートナー/コンテクストデザイナー
慶應義塾大学SFC特別招聘教授
東京とロンドンを拠点に、ブランディング、UI/UXデザイン、サービスデザインなどのプロジェクトを推進。個人の小さな「ものがたり」が生まれる「ものづくり」がテーマ。主な仕事に日本経済新聞社のブランディング、ISSEY MIYAKEの花と手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」、一冊だけの本屋「森岡書店」、Yahoo! JAPANと文芸誌 新潮との小説プロジェクト「q」など。慶應SFC卒業。在学中の起業や欧州での国費研修等を経てTakramの創業に参加。国内外での受賞や講演実績多数。著書に『ストーリー・ウィーヴィング』、『デザイン・イノベーションの振り子』など。独iF Design Award審査員。趣味はお酒と香水の蒐集と、茶道。茶名は仙康宗達。
“唯一の正しい物語”はもはや難しくなってきている
―渡邉さんの肩書きでもある「コンテクストデザイン」は、そもそもどのような行為なのでしょうか。
渡邉さん(以下、敬称略):そうですね。コンテクストデザインの話をする前に、まず“ストーリー”の話をさせてください。
例えば、従来のブランディングや広告は、「ひとつの正しいストーリーがあり、それを全員に伝える」ものでした。一字一句間違えてはいけない経典としてのストーリーです。ただ、その前提で物事を伝えるのには限界があるし、むしろ貧弱でさえあるかもしれない。積極的な誤読がある方が豊かな文化ができるのではないか。僕はそう考えているんです。
―誤読?
渡邉:言い換えるならば、受け手側の解釈の幅のようなものです。よいストーリーは「強い文脈」と「弱い文脈」の両方を纏います。
発信する側や作者が込めた思いが、強い文脈。受け手側が積極的に誤読し膨らませるのが、弱い文脈です。強い文脈を否定するわけではないですが、個々人が自由に持ち得る弱い文脈が等しく寄り添うのが、よいストーリーだと考えています。
―なぜ弱い文脈が必要なのでしょう?
渡邉:弱い文脈があると、受け手は誤読を通して自分なりの解釈を持つ。すると、ストーリーは与えられたものではなく、自ら所有するものへ変わり、個々のモチベーションや生きるテーマと接続します。“自分の言葉”で言語化が可能になるんです。
―つまり、受け手側の解釈を通して自分事化し、再び誰かに伝えようと行動できるストーリーこそがよいストーリーであると。
渡邉:コンテクストデザインはこのような強い文脈と弱い文脈の両立を目指す活動です。デザインしたものをそのまま押し付けるのではなく、使い手一人ひとりが曲解・誤読し、自分だけのプロダクトに変えてほしい。唯一の答えを求めず、いかに芳醇にできるかをしつらえられる行為ですね。僕が書いてるnoteでは以下の言葉で定義しています。
一人ひとりの小さな「ものがたり」が生まれるような「ものづくり」の取り組みを指す。換言するならば、受け手の主体的な関わりとそれによる多義的な解釈の表出を、書き手が意図した創作活動だ。──コンテクストデザインとは より
―コンテクストデザインは、渡邉さんがはじめたものなのでしょうか?
渡邉:コンテクストデザインという言葉では呼ばれていないけれど、同じような仕組みはたくさんありますよ。古い例でいえば、七夕の短冊はとてもコンテクストデザイン的です。
“願いごとを書く行事”という強い文脈の上に、“短冊に書かれた個々人の願いごと”という弱い文脈が寄り添う。この弱い文脈は、七夕というイベントによって表出しましたが、七夕とは無関係に、本来自分が抱いていた願いでもあった。単なる短冊の儀式ではなくなっていますよね。神社の絵馬も同様です。
解釈、参加、創作を通して完成するコンテクストデザイン
―意識していないだけで身近にコンテクストデザイン的なものはある気がします。すると、渡邉さんはコンテクストデザインを体系立てたということでしょうか。
渡邉:コンテクストデザインには複数の段階があります。今日は「解釈を誘う」「参加を誘う」「創作を誘う」の3つを紹介しますね。
一つ目は、「解釈を誘う」。語られている部分と語られていない部分の両方を用意し、「わかるけどわからない」を設える。僕の言葉でいうと「判読可能性」「誤読可能性」の両方を具備させることです。
例えば、芥川龍之介の『藪の中』という短編があります。あるお侍さんが殺され、7人の証言をもとに謎を解こうとする話なのですが、全員の証言が少しずつ食い違っていて何が真実かがわからない。真実の有り様は一体どこにあるのかを受け手も考えてしまうものです。こういった仕組まれた謎は一人ひとりの解釈を誘う事例のひとつです。
エヴァンゲリオンやジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』も同様です。語られていることは多い、でも謎の部分もたくさんある。そういった、様々な解釈の余地を設けることが第一段階です。
―まずは、伝えるべきコンテンツ自体に判読可能性と誤読可能性の双方をもたせると。
渡邉:これは意図的に行うこともできますが、どんな表現も自ずと判読可能性と誤読可能性を孕んでしまうものですよね。次に「参加を誘う」。人が入ってこれる余地を設けることです。アメリカの小説家ポール・オースターの、ナショナル・ストーリー・プロジェクトを例に見てみましょう。
彼はラジオのパーソナリティとして、全米のリスナーから“本当の話”を集め、それをキュレーションし朗読したんです。送るストーリーは、3行くらいの短さでも4ページでもいい。本当であることだけが条件です。
家族や犬、旅など、テーマは様々なんですが、全部笑わせたり泣けたり、すごく素敵なものばかりが集まっている。小説家というフィクションのクリエイターが、自身の創作とは別の世界にある無名の人々のクリエイティビティを礼賛する取り組みです。
―ポール・オースターは、ラジオ番組の投稿という形で参加を誘い、リスナーの中にあるクリエイティビティを導き出す役割を担っているんですね。
渡邉:現代アーティストのミランダ・ジュライの作品「廊下」もとてもよい例です。50メートルほどの真っ白な廊下にいくつもの看板が立ち、それをくぐりながら進む作品なんですが、全てが思索を誘う看板なんですね。
「あなたはまず笑います。そもそもこれがいつのまにはじまってしまったのかもわかりません」「友だちに何か言おうと振り返りますが、もう背後には誰もいなくなっています」とか。そのうち、「歩いていくうちにあなたは残りの人生、この通路をずっと歩いて行くのだということに気がつきます」と書いてあったりして、本当にここから出られないのかも…、自分は何をこの廊下で達成できたのか…と考えさせられる。
この作品では、参加する側が単に鑑賞するだけでなく、ある指示のもと動く必要があります。参加が求められるんですね。歩かなければいけない、くぐらなければいけない、読まなければいけない。行為を通し、作品との関わり方が少しずつ能動的になっていく。「参加を誘う」のには能動性が大事で、押し付けではなく自発的に参加してもらえることが重要です。
―参加を誘う余地があるだけでなく、参加したい、ないしはしてしまうしかけがあると。
渡邉:最後に「創作を誘う」。余白を埋めることによって作品が完成するような、一人ひとりが作家になる状況づくりです。
ここでは、僕が担当したイッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)の『FLORIOGRAPHY』を紹介します。FLORIOGRAPHYは花のアクセサリーを紙でラッピングしブーケとして渡せるホリデーギフトです。
ただ、ブーケの包み紙には「COLOURS」「YOU」「STORY」といったいくつかの言葉が書かれており、それを手がかりに包み紙に手紙を書かないと完成しないというもの。使い手が最後の一筆を入れ、はじめて完成する。売られている状態は未完成である、というものです。
“FLORIOGRAPHY”は花言葉という意味で、お客様の手紙の言葉自体が、渡す花の花言葉になるという意味なんですね。これは手紙という「小さな創作」を誘うしかけです。
―ヒントとなる言葉や、花言葉であるということ、そして「手紙を書くもの」というデザインによって、創作を誘っているんですね。
渡邉:他にも、僕が大好きな事例のひとつに、ベルリン在住のアーティスト出月秀明さんが手がける、山奥に隠された図書室『Hidden Library』というものがあります。
Hidden Libraryは、本を借りる場所であり本を預ける場所でもある。本を預けられるのは、徳島県神山町の住民だけ。一冊でも預けると、その図書室を自由に使えて本を借りられるという仕組みです。ただ、預けられるのは人生の大事なタイミングで読んでいた本を3冊まで。
つまり、蔵書はすべて誰かの人生の大事なシーンに寄り添った本なんです。背表紙に指をかけた時にかかる一冊の本の重さは、誰かの人生の重さかもしれない。これも、本を置くことでHidden Libraryという作品を共同で創作する、その一端を担う仕掛けです。
この二つの例はいわば他者のステージの上で表現行為をする「創作」でしたが、もちろん一から作る創作でもいい。むしろそういった創作が少しでも増えることを僕は望んでいます。一人ひとりが、自らが本当に取り組みたいことに挑戦すること──執筆でも、起業でもランニングでも──が「創作を誘う」ことです。自分なりの「社会彫刻」をしたくなるということ。
あらゆる優れた作品やデザインワークは、コンテクストデザインという手法と無関係に、創作を誘うものですよね。でもこれまで創作に取り組んでいなかった人さえも、コンテクストデザインをきっかけに、その第一歩を踏み出してくれたら、と考えています。
企業という強い文脈と、社員という弱い文脈
―「解釈」「参加」「創作」、それぞれを誘うことで、受け取る側が自分事化できるストーリーをつくる。この取り組みを企業やPRの文脈に落とすには少しジャンプが必要な気がします。渡邉さんの目から見て、上手に取り組んでいると思う事例はありますか?
渡邉:手前味噌ですが、Takramはそれを目指しています。Takram全体のミッション、いわば強い文脈はしっかりと存在する。ですが、メンバー一人ひとりが持つ弱い文脈は多様であるべきと考えているんです。
そもそも我々のようなデザインの組織は、一般的に2種類に分かれます。スターデザイナーひとりの名前のみがでるか、一切個人名が出ない大きな組織か、です。Takramはそのどちらでもない。
むしろ、渡邉(Takram)、田川(Takram)のように個人名が先で所属が後という、個の持つ弱い文脈を発露させられる場を目指しています。「未だ見ぬ価値を見出し、社会に実装する」というミッションがありますが、田川にとってはそれはデザインエンジニアリングに始まり、現在はBTC(ビジネス・テクノロジー・クリエイティブの三要素の有機的な連動)を高いレベルで実践することかもしれない。どちらも未だ見ぬ価値です。僕にとっては、それは「コンテクストデザイン」という新しい価値観を広めていくことです。
ミッションを誤読して自分の側に引き寄せ、自分のライフミッションに寄り添わせる。一人ひとりが能動的に自分のミッションに向かっています。
―企業の持つミッション・ビジョンといった強い文脈の上に、個々人の弱い文脈を載せていく。確かに、社員が活躍できるプラットフォームとして、強い文脈である企業を活用している場合は、コンテクストデザインが上手くいっていると読み取れそうです。
渡邉:その事例で言えば、イントレプレナーがたくさん生まれるという意味でスマイルズもとてもコンテクストデザイン的ですね。遠山さんご自身がイントレプレナーだったこともあり、個の熱量を上手に後押ししている。
「辞めたい」「辞めます」と言うひとに「何するの?」と訊き「BARをやりたい」といえば「じゃあ出資するよ!」と応援する。一人ひとりが自分の人生を生きることそのものを応援している。素晴らしい組織だと思いますね。
コンテクストデザインは、社会彫刻の補助線であり営みである
―たしかに、以前スマイルズにお話を伺った際、会社のメンバーという感じではなく、「おもしろい仕事をできる場所」として会社を捉えていたのが印象的でした。上手くコンテクストデザインされていることが、社員一人ひとりが熱量を引き出しているのかも知れません。
ここまでお話を聞くとコンテクストデザインの重要性がひしひしと感じられます。ですが、渡邉さんはなぜその重要性にいち早く気づき、肩書きに添えてまでフォーカスされているのでしょうか。
渡邉:外的な動機と内的な動機の二つがあります。外的なものでは、日本経済新聞社をはじめ、様々なクライアントとブランディングに取り組む中での気づきです。
ブランディングのプロジェクトでは、とにかくインターナルブランディングが大事です。新しい挑戦のために、クライアント社内のマインドセットを変えるにしても、我々はあくまで触媒で作家ではない。作家は中にいる人で、彼らに“自分たちは作家である”と信じて活動してもらわねばならない。この能動性を引き出す枠組みが必要だ、という気づきからです。
―能動性を引き出す上で、コンテクストデザインはよいツールであると。
渡邉:そう言えなくもないですが、ちょっと違います。僕の価値観でいうとコンテクストデザインは“ツール”ではないんですよ。これは、内的なものに起因していて、ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスは「あらゆる人間は未来の社会を彫刻している」と言っています。
僕はより多くの人が、自身の人生のテーマ、その人なりの社会彫刻に取り組んでいる様子を見たいと思っているんです。
自分なりの表現をする場が増えれば、人が弱い文脈を表出するチャンスが増え、新しい創造が世の中に増え、自分らしい生き方をするひとが増える。コンテクストデザインはその補助線だと思っているんです。
「個」の時代こそ、弱い文脈に寄り添うように
PR Tableは、かつて抽象的な概念だった“ Public ”が「個」の時代の到来とともに解像度が上がってきたことで、Personal Relationsの時代が来ると考えています。
より“人”と寄り添うべき時代が到来しているからこそ、「不動のストーリー」を誤解無く伝えるのではなく、人が持つ“弱い文脈”に寄り添ったリレーションを考えなければいけない。渡邉さんが取り組む「コンテクストデザイン」は、「個」の時代だからこそ、PRパーソンも持つべきマインドではないでしょうか。
それを社内外問わず適切にコミュニケーションしていくことで、Takramやスマイルズといった渡邉さんが語った事例のように、コンテクストを強みにした組織が生まれていくのかもしれません。(編集部)