PR TALK by talentbook

PR実践企業の声や事例から、
アクションの”きっかけ”を生むメディア

talentbook/タレントブック

PR TALKのシェアはこちらから

  • Twitter
  • Facebook
  • LinkedIn
  • LINE

talentbookへのお問合せはこちら

お問い合わせ

PR TALKの更新情報はTwitterでお知らせいたします
フォローはこちら

  • Twitter
  • Facebook
  • LinkedIn
  • LINE
  • COPY

東京大学・河炅珍助教×PR Table 大堀航「あなたのPRは、友達がつくれているか?」

INDEX

Public Relations(以下、PR)を歴史社会学の観点から捉える研究者、東京大学大学院情報学環助教を務める河炅珍(ハ キョンジン)さんにお話を伺っています。(※所属・職位は、インタビュー当時/2018年6月) 

前編 )東京大学・河炅珍助教「現在の動画ブームと、1950年代のPR映画に共通する“仕掛け”がある」 

19世紀から20世紀におけるアメリカと日本のPR事業を詳細に分析し、その意味を説いた『パブリック・リレーションズの歴史社会学──アメリカと日本における〈企業自我〉の構築』(岩波書店)を2017年に上梓された河先生は、現在もPRの歴史的価値を探求し続けています。

今回はPR Table 取締役の大堀航が河先生を訪ね、「歴史から参照するPR」をテーマにお話を伺いました。記事後編ではPR実践者としての立場をとる大堀と、歴史探求者の河先生によって、立場の異なる立脚点からの考察を交わしました。

エージェンシーが仕掛ける手法ベースのPR論とは一線を画す、歴史に裏打ちされた未来への仮説。これからのPRパーソンに必要なのは、移りゆく時代における方法論を追随するだけでなく、ともするとなされるべきは「歴史の参照」なのかもしれません。

———-

*本記事は、2018年6月に実施したインタビューを要約・再構成したものです。


Profile

河 炅珍さん  Ha Kyungjin

東京大学大学院情報学環助教
1982年、韓国生まれ。韓国梨花女子大学卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。現在、東京大学大学院情報学環助教。専門は、社会学、メディア・コミュニケーション研究。主な論文に、「パブリック・リレーションズの条件――20世紀初頭のアメリカ社会を通じて」『思想』1070号(2013年)、「『公報』、あるPR(パブリック・リレーションズ)の類型――1960年代、韓国における政府コミュニケーションをめぐって」『マス・コミュニケーション研究』79号(2011年)など。

—–

聞き手:大堀 航    Koh Ohori

株式会社PR Table 取締役/Founder
大手総合PR会社の(株)オズマピーアールを経て、国内最大のオンライン英会話サービスを運営する(株)レアジョブに入社。PRチームを立ち上げ、2014年6月に東証マザーズ上場に貢献。2014年12月、(株)PR Tableを創業。


PRを進化させる、学際的アプローチの可能性

大堀:実務的な側面として、私たち「PR Table」は企業のパブリック・リレーションズをサポートしてきました。経営における資本市場、労働市場、そして商品市場という3点において、昨今は労働市場に課題を感じている企業が多いようです。

その中でも、これから成長していく意欲あるベンチャー企業は、パブリックリレーションズという言葉は知らないものの、それを自然と体現してるケースを肌で感じてもいます。

:たしかに3つの市場の変化は感じます。労働市場に対応できる中小企業やベンチャー企業も出てきているのですね。そして、PR的な観点からいえば、多くの企業にとっては従業員との関係性といったインターナルなコミュニケーションに問題を抱えていると。

その状況は、私が知っている限りは戦後も全く同じような状況がありました。それこそ戦後の1950年代に、テレビが普及する前に「PR映画」を活用していた頃です。

当時の主流メディアは映画ですから、それに相当するものは現代ならネットなのでしょう。最新のメディアを用いてどのようなPRを行い、関係性を構築しようとしていたのか。この点は私も研究対象として興味深く見ています。

大堀:そうですね。メディアの違いはあれど、目的や内容においては類似する可能性もあり、歴史の参照によって現在の突破口が見えてくる可能性もありそうです。

僕らの仮説として、今後のPRは「さらに個人と向き合っていく、もっとパーソナルに寄っていく」という変化があると考えています。むしろ、そうなっていくべきであるとも思っている。

おそらくその際にセットで考えるべきなの社会学、心理学、宗教学といった文脈からPRを分析していくこと。それによって研究を進められるのではないかと。

:同感です。私もPRの研究をしていますが、バックグラウンドには経営学だけでなく社会学も当然あります。経営学とPRを結びつけるのはこの2つが因果関係を形成しているからです。

もっとも、PRを現象として見ていくのであれば、経営学だけでない新しい学問の枠組み、あるいはフレームワークによる思考が必要だと思います。それは研究者も実務家にとってもきっと必要だと思うんですね。

なぜなら、これは個人的な思いもあるのですが、経営学は数多くの蓄積があり、ピーター・ドラッカーによる現代経営学の研究も素晴らしいと思う一方で、経営学では「企業が存在すること」があまりにも当たり前として捉えられているんですね。

今後の100年で「企業」が存在しなくなる可能性もありますし、現在のような形を保持できるのかといえば疑問も浮かびます。そこで企業と社会の関係性を広く捉えるためには、やはり社会学や心理学が必要なのではないかと思うわけです。

大堀:たしかに株式会社という形態の「必要」はないですし、続かないかもしれない。実際に、従業員全員がフリーランスのまま組織のように形成され、プロジェクト単位で仕事をするといったあり方も見られていますからね。

なぜ「ステークホルダー」という言葉を使うのか

大堀:僕らも含めてベンチャー業界に身を置くと、ベンチャーとは「群衆」から成り立ち、企業体になっていく過程であると感じます。その「群衆」なのか、あるいは「公衆」なのかが他者を巻き込んで関係を構築し、ステークホルダーとコミュニケーションをして、会社を大きくしていく。そして気づくと大企業になっていくのですね。

:現在の実践的PRの場では、コミュニケーションの対象は「パブリック」ではなく「ステークホルダー」と呼ぶことが多いんでしょうか?

大堀:最近は「ステークホルダー」という文字を見る機会は増えているように感じます。

:なるほど。なぜ聞いたのかといえば、私は「使われている言葉」に注目することがとても意味のあるものと考えているんです。マーケティングやマネジメント業界での「言葉使い」や「流行の言葉」は、企業の考え方も表していきます。

アメリカだとPRにおいて、企業や政府の担い手となる相手は「パブリック=公衆」なんですね。その公衆が何を意味しているのかというと、言葉通りに「社会に対して役に立つ」であるとか、「社会全体にとっての有益であると思われるような価値」を指します。たとえば、環境にやさしい、法律遵守、独占的な行為をしない、消費者の権利を守る……とかですね。

PRの考えが生まれたアメリカでは、「企業市民」といった意識下で歴史が作られていきました。だからこそ今でもPRにおいて、重要なのは「パブリック」だという認識が根底にあります。

しかし、最近は「ステークホルダー」にアメリカも移行しているような印象はあります。考え方が若干変わってきているんですね。

「ステーク」とは競馬や賞金での「掛け金」を意味しています。その「ステーク」を「ホールド」している人々という言葉で見ることは、訴訟やコンプライアンス違反といった予期せぬ出来事、あるいは株主への配当金といったものを含めて、その根底に金銭的な損失を事前に防ぐための管理をしたいというリスクヘッジの概念が含まれるのだと思います。

大堀:なるほど。PRと一口にいっても、パブリックと呼ぶのか、ステークホルダーとみなすかで、コミュニケーションの方向性までも大きく変わるのですね。

:働く方は直感的にその言葉を使い、言葉そのものを体現していくのが実践の現場では早いと思うのですが、研究者からすると「その言葉を使うこと」に理由があるわけです。

実践や実務の場における「言葉遣い」などの意思決定は、研究者の私とは距離があることなので実感値としては持てていないのですが、直感的に思う「良いケース」はあります。まず自分たちの組織を社会におき、はっきりとした存在として立ち上げていく上で、どういった他者に注目すればいいのかを考えていく。

その他者は限定するのでもいいし、新しい他者を見出すのでもいいのだと思います。なおかつ、見出した他者を「どういった言葉で命名するか」も重要なのではないでしょうか。

大堀:おっしゃる通りですね。これは博報堂ケトルの嶋浩一郎さんがおっしゃっていたことでもありますが、暗黙知な存在の命名は大切です。

:嶋さんのお名前を聞いて思い出しましたが、博報堂が消費者を「生活者」と呼んだ理由は単なる言葉遊びではなく、その当時の市場というものが変わっていく方向性を読み取った上で、新しい命名が必要になったからだと思います。

だから、現在のように受動的にものを消費するような時代が終わり、そこにいる人々をもっと能動的なアクターとして発見していくためにも、新しい言葉が求められているように感じます。PRにおける「パブリック」についても100年以上論じられてきているけれども、また、違う解釈や再解釈も当然できる。

その呼び方が大堀さんの言うように「ステークホルダー」でいいのか、それとも改めて「パブリック」に戻るのかも含めて、研究者も実務家も意識を置くことによって、新しい展開ができるのではないでしょうか。

現代は「PRの目標」が達成されすぎている?

大堀:河先生が1950年代のPR映画に現代の共通性を見ている、いわば歴史が1950年代に戻っているという様子のなかで、この流れの先にある未来はどういった形があり得るのでしょうか。その像も歴史から見えてくる部分はありますか?

:現代の企業にとって、大企業においてもコミュニケーションが行き詰まっているのだと思います。それはテレビで企業のPR広告やCMを見るとか、新聞を読むとか、彼らのPR誌を読んでみると直感的にわかるんですね。

つまり、「PR的な目標」があまりにも良く達成されていて、みんなが同じような顔をしている。みんなが同じような自我とアイデンティティしか持たなくなっているような気がするわけです。「資本主義はその成功により滅びる」といったヨーゼフ・シュンペーター的な考え方で言うならば、現在は自分たちの「内部」があまりにも成功しすぎている。そして、それこそが失敗であるという印象を受けるんです。

1950年代に大企業が自我を築こうとした理由は、「戦後」という社会構造の大きな変化が後ろ盾にありました。現代は外部構造そのものも変わってきているけれども、企業という組織体が「次にどこへ向かっていくのか」という問題に対して、ある程度の答えを出さなければいけない時期に来ていると思います。そこでつまずいているからこそ、あらゆる関係性の問題が同時に悪化している。

では、いま何ができるのか。すでにあるパイを取りにいくのではなく、今まで誰も味わったことのないような新しいパイを作る発想が求められるはずです。それをPRやコミュニケーションという側面で考えてみることが、良い突破口になるのではないでしょうか。

大堀:まさに河先生がおっしゃっていた、1950年代の資生堂のPR映画のようですね(※前編参照)。

新しい大衆と、いかに友情を結ぶのか

:経済学的な議論は十分に進んでいるし、経営学も制度的な設計は発達しているけれども、個人的な感覚としてのコミュニケーションは、まだまだ探求される可能性があるような気がします。

インターネットというメディアの登場もこの21世紀になって新しい変化をもたらしていますね。その流れのなかで、「企業はどういった社会的な存在になりうるのか」という究極的な問いは、単なるPRだけでなく経営やマネジメントそのものにもつながっていく。

成功しているベンチャー企業やモデルケースは、そういった問題意識を「現場の言葉」で表現しているのですか?

大堀:そうですね。うまくいくベンチャー企業はビジョンが優れている、逆にいえばビジョン無きベンチャーはベンチャーですら足り得ない、ということでもあるかと思います。

ビジョンにおいて課題を提示して、「一緒に解決しよう!」と呼びかけることで人が集まる。その動きがないと産業は固まり、飽和しつつある市場ではやることがないに等しいですから。

経営あるいはマネジメントの現場からすると、最近は感度が良い企業ほど「ピープル&カルチャー」という呼び名を持つ部署が立ち上がったり、海外支社をつなぐ「グローバルエンゲージメントチーム」ができたり……という動きも見られています。

:いま、大堀さんが「エンゲージメント」とおっしゃって思い出したことがあるんです。日本のあらゆる企業が行き詰っているのは、そもそも「公衆」を発見できていないからなのかもしれません。すでに発見されている他者としか関係性を構築できていないような状況があるのではないか、と。

新しい友達の関係を築くためには、新しい公衆を発見しなければなりません。では、友達の関係を築く、言うなれば「友情を結ぶ」ためにはどうすればいいのか。

方法のひとつは経験をシェアすることです。極端に言えば、「問題を一緒に解決すること」です。だから、「エンゲージメント」にはそういう意識が根底に流れていると思うんですね。

成功したPRの歴史を見ていくと、政治的、社会的、経済的な問題に焦点を当て、その問題を一緒に解決していく相手として他者を見出してきました。一例としては、国家的な規模で行われ、成功したケースとしてはニューディール政策が挙がるでしょう。

大堀:1930年代にアメリカで行われた政策ですよね。公共事業によって世界恐慌を乗り越えようとした。

:大統領のフランクリン・ルーズベルトは感度の高いPRパーソンだったといえるでしょう。彼が発見した公衆とは「忘れられた人々」です。それまでの政権は、中産階級を重視していました。貧困層、農民、労働者階級には焦点を当ててこなかったんです。

ただ、大恐慌によって1920年代末に経済危機が起きると、当時の政権と友達関係を維持してきた階級だけでは、問題が解決できないことが見えてきた。そこで「忘れられた人々」を改めて発見していった。彼らと友達の関係を構築し、政府と有権者の間に新しい信頼関係を築くことによって、ニューディール政策は成功した側面があったと私は考えます。

実は政府だけでなく、企業も似たような取り組みをしています。たとえば、戦時中には「企業は国家が所有すべきである」という議論が必ず出ますが、経営者にとっては自分たちが築いてきた産業を奪われる不安を覚える。だからこそ、国家に所有される前に、自らで所有の構造を民主化しました。

たとえば、株式会社という仕組みです。「株券を持っていれば、あなたはわが社の経営者である」といったキャンペーンを展開したのもひとつでしょう。その動きは第一次世界大戦前後にも遡る歴史的な事例ですが、そこでも重視されているのは「問題を一緒に解決する」ことによる関係性の構築だったといえます。

問題が起こる前に、「問題とは何か」をまず定義し、それを一緒に解決するような働きかけをすること。言い換えれば、「問題を作ってしまう」、「問題を見出していく」という考え方です。実践の場にいる大堀さん含め、企業側にもある発想だと思いますか?

大堀:それは面白いですね。僕の尊敬する経営者は、「経営とは100の問いを答えることだ」と話しています。そして、経営者が100の問いを全て答えるのではなく、それを社員に渡していくことが大事だ、とも。

:それを社会に向けて発信していくとなると、そこではもっと内部の従業員や労使関係だけではなくて、広い意味での「パブリック・リレーションズ」の軸ができてしまうんですよね。

大堀:問いでつながるということですね。

:そうです。問題を一緒に見出し、それを解決していくうえで、何かの関係性が生まれる。これはすごくシンプルだけれども、成功している事例の基本ではないでしょうか。だからこそ歴史の参照は、現在においても役に立つものなんですよね。

PRはマネジメントの下位ではなく、横並びになっていく

:ただ、残念なことに、日本のPR教育は世界と比べても非常に遅れています。アメリカだけでなく最近は韓国の大学教育にもコミュニケーションマネジメント、パブリック・リレーションズ、リスクマネジメントを含めた専門の講師がいますし、修士や博士の学位も授与出来るようになっています。日本においては、それらがあまりにも「職人技」として浮いてしまっているところがありますね。

大堀:「どうやるか」という手法に終始しているように思います。スキルのひとつとして見られている節がある。ただ、僕らにとってPRは、少なくともビジネスマンとしての一般教養に近いものになるはずだと考えています。

:そうですね。PRをスキルとして捉えることは了見が狭いし、こうやって私たちが議論している実践につながるような可能性も、とても少ないと思うんです。なぜなら、スキルとして捉えるのはマニュアルをなぞることだからです。今、必要なのはマニュアルが作れる人……むしろ、マニュアルも要らないクリエイティブな人たちじゃないですか。

日本は広告代理店の文化があまりにも根強いために、クリエイティブな人たちは全て代理店に進み、広告業界に入っていた時代があるんですよね。今はその時代が変わっているような印象を個人的には受けていますが。

大堀:一例ではありますが、この「PR Table Community」で展開している記事でも、ミレニアル世代と呼ばれる新しい世代のPRパーソンは事業会社にもいます。あるいは、広告代理店の出身者が手がけていたことへの反動から事業会社を立ち上げるケースもありました。それが「社会を動かす」とか、「コミュニティをつくる」といった動きにもつながっているようです。

:それはとても正しい方向性だと感じます。アメリカでもエージェンシー、いわゆる広告代理店でPRキャンペーンを展開したとしても、自社にも最高経営者のすぐ下の階層にコミュニケーション・マネージャーといった人材が必ずいます。

あくまで自分たちで方向性を定めた上で、メディア戦略やメディアバイイング、あるいはプロフェッショナルな視点からの助言においてはエージェンシーを頼るような構図です。

アメリカからすれば、日本のようにエージェンシーに自分たちのコミュニケーション戦略を任せることは、ちょっとおかしな事態でもある。それが、大堀さんがおっしゃっているように、若い世代がエージェンシーよりも世の中を動かせるような場所へ行きたいと考えはじめているという認識は、時代性も含めて合っていると思いますね。

今までPRは、経営学やマネジメントの下位にある概念でした。そうではなく、マネジメントと同列に並ぶような概念になっていく。それこそが究極的には、今後取りうる良い未来の方向性ではないでしょうか。

———-

「ビジネス」のアプローチだけでは、PRをアップデートさせることはできない

Public Relationsを経営戦略として位置付けていくためには、社会学や経済学など、さまざまな領域の知見を取り入れて、横断的に捉えていく必要があると感じました。アカデミック、ビジネス、双方からのアプローチで、より良い社会のためにPublic Relationsはアップデートできる余地がある。それを確信した取材となりました。(編集部)