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社会情報大学院大学 鶴野充茂さん×日比谷尚武 「危機管理広報は、日常のコミュニケーションの延長。時代に合わせてアップデートを」

INDEX

あの人は、なぜ“関係構築”が上手いのだろう——?

Public Relations(=社会との関係構築)を、現代社会の中でさまざまに体現している人たち。一体どのような経験を重ね、そこからどのような知見を得て、現在地にたどり着いたのでしょうか。

PR Tableのエバンジェリストである日比谷尚武が、自身と親交のある“PRパーソン”をたずね、その思索のプロセスをたどっていきます。

今回はコミュニケーションの専門家として、大手企業や国の機関などでアドバイザーを務められたご経験をもち、危機管理広報領域の造詣が深い、鶴野充茂さんをたずねました。

コミュニケーションツールが増え、情報を伝える側と受け取る側の環境が大きく変わりつつある今。鶴野さんは危機管理コミュニケーションについてどんな考えをお持ちなのか、うかがいました。


Profile
鶴野 充茂さん Mitsushige Tsuruno

社会情報大学院大学 客員教授/ビーンスター株式会社 代表取締役
在英国日本大使館、国連機関、ソニー等で一貫してコミュニケーションをテーマにキャリアを歩んだ後、ビーンスターを創業。経営者、医師・弁護士など各界のリーダーや専門家向けに豊富なメディアトレーニング、プレゼントレーニング、広報アドバイザー実績があるほか、東日本大震災の際には国会内に設置された東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)でIT/ソーシャルメディアを活用したコミュニケーションを統括するなど、最新のソーシャルメディア事情・実務に詳しい。公益社団法人 日本パブリックリレーションズ協会 元理事でもある。

聞き手:日比谷 尚武 Naotake Hibiya

学生時代より、フリーランスとしてWebサイト構築・ストリーミングイベント等の企画運営に携わる。その後、NTTグループに勤務。2003年、株式会社KBMJに入社。取締役として、会社規模が10名から150名に成長する過程で、営業・企画・マネジメント全般を担う。2009年より、Sansanに参画し、マーケティング&広報機能の立ち上げに従事。並行して、OpenNetworkLabの3期生としても活動。現在は、コネクタ/名刺総研所長/Eightエヴァンジェリストとして社外への情報発信を務める。並行して、 株式会社PRTable エバンジェリスト、公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会 広報委員、一般社団法人 at Will Work 理事、ロックバーの経営 なども務める。

—–

(取材協力/社会情報大学院大学


「日本が世界に発信されないのはなぜだろう?」

日比谷:今回はまず、鶴野さんがどんなきっかけで広報の道に進まれたのか、というところからお話をお伺いしたいなと。

鶴野:最初のきっかけは、大学時代に英国にある日本大使館で仕事をしたことでした。大学の掲示板にあった「在マイアミ総領事館1名募集」という貼り出しを見て、「お金をもらいながらスペイン語も勉強できて、楽しく過ごせそうだ!」と夢見て応募したんですよね。そうしたらなぜか、ロンドンに行ってください、となってしまって(笑)。

日比谷:ええっ、話が違う!(笑) 大使館ではどのような仕事をされていたんですか?

鶴野:皇室、閣僚、国会議員や各国駐在大使といった政府要人の接遇業務や、国際会議のロジスティクスなどを担当していました。ここでの仕事を通して、自分の中にふたつの大きな問題意識が生まれたんです。

ひとつは、「日本のことは、なぜ世界に報じられないのか」。たとえば、日本は多額のODA(政府開発支援金)を出していたのに、海外ではほとんど報じられていなかったんです。なので、日本が大きな海外援助をしていることを意識することがない。

一方で、アメリカはCNNが、イギリスはBBCがグローバルに取り組みを伝えている。ものすごい存在感だなと。この差は一体何だろう? と。

日比谷:それが広報の必要性、概念に触れたきっかけになったんですか?

鶴野:ですね。ダイアナ妃にも影響を受けました。当時、彼女がヘルメットをかぶって、いろんな紛争の跡地に行っていたのって有名ですよね。

「私が行くところをメディアが追うの。私をきっかけにその問題について知ってもらえれば、光が当たるべきところに当たる。みんなが注目して、そうしたら支援も集まる」という彼女のコメントは印象深かった。これも、広報の重要性に気づいたきっかけのひとつですね。

日比谷:なるほど……! もうひとつの問題意識とは?

鶴野:「勉強しなければ、何の話もできない」ということですね。要人の送迎車内で、VIPと私が交わすのは、何気ない日常会話なんです。ところが大使館の人がもうひとり同乗すると、途端に国の政策の話が飛び出す。知識を持っていなければ会話のテーマにもならないことを痛感しました。

勉強しよう、広報について学ぼう、と思ったものの、日本ではその領域の学問を見つけられなかった。それでニューヨークの大学院に行くことを決めたんです。

日比谷:2年間の経験がすごく濃厚ですね。

鶴野:そうですね、大きなターニングポイントでした。

“日本を世界に売り込む”。強い課題意識から広報の道へ

日比谷:「広報」と一口に言っても幅広いと思うのですが、留学先の専攻はどういったものだったんですか?

鶴野:国際広報です。コロンビア大学の大学院に国際公共政策の専門校があって、そこで国際メディア・コミュニケーションを核に学びました。

日比谷:でもその後、日本に戻られて、外務省や国の機関、外交に携わるのではなく、企業に就職されたわけですよね。ここまでの話からすると、大使館や国連で働いていてもおかしくないのに。

鶴野:実は、大学院に行っている間に国連でインターンしていたんですよ。そこで、「国連とは何て大変なところなんだろう」と痛感して(笑)。

日比谷:行く先、行く先で大変な経験をされていますね(笑)。

鶴野:大学の学部時代の専攻は心理学で、大学院で学んだのは国際広報。おまけに大使館や国連でも働いたところで、「これは一体何のキャリアだろう?」と考えました。

そこで浮かび上がったのが、「コミュニケーション」だったんです。個人のコミュニケーション、組織のコミュニケーション、国のコミュニケーション。すべて“コミュニケーション”という共通点があるな、と。

日比谷:日本企業ではなく、海外で働き続けるという選択肢も考えていたんですか?

鶴野:可能性としてはありました。PR会社にも興味があったので、大学院の夏休みを利用して東京にある外資系のPR会社で働いたこともあります。

一方で、大使館時代に抱いた、「どうすれば日本のことを世界中に発信できるのか」という問題意識は変わらないままでした。大学院でも、日本のブランディングをテーマに研究していました。

当時の研究の一環で、「日本をイメージさせるものは何か?」という調査をしたところ、「TOYOTA」と「SONY」の名が挙がって。「なるほど。こういう企業をうまく広報できれば、日本を世界に売り込むことにつながるのか」と思ったんです。

日比谷:視点が面白い! それで帰国後、ソニーに就職したわけですね。

鶴野:そうなんです。

“コミュニケーション”の仕事を続けていくために立ち上げたメデコミ会

日比谷: 鶴野さんのキャリアについて聞いていると、一見、飛躍しているようでいてそれぞれユニークな経緯があり、何よりも自分で選択して設計しているというところが面白いですよね。ソニーではどのようなお仕事をされていたんですか?

鶴野:はじめは広報の仕事をしていました。社内報の編集長になって紙面をリニューアルしたり、イントラネットの活用を工夫したり、ビデオ社内報などもやりました。

私が入社したのは、ソニーの株価が1年間で3倍になった年なんですよ。広報も、さらにスピードアップさせたいと思っていたけれど、やればやるほど、どうやら自分は会社の事業についてあまりよく理解できてないんじゃないかという気がしてきました。そこで事業部門に移って、戦略や新規事業を考えていましたね。

また、ソニーに入った年、社外活動として2000年7月に「メデコミ会」をスタートしているんです。それが今も続いています。

日比谷:メデコミ会って、広報・広告・メディア・マーケティング・プロモーションなど、「コミュニケーション」「伝える」ことをテーマに仕事をしている人たちのための交流会ですよね。どういう狙いで作ったんですか?

鶴野:当時、「広報でキャリアを積みたいんです!」と人に言ったら、「広報っていうのは専門職なんですか?」と問い返されることが多かったんです。

つまり広報というのは、その程度の位置づけなのかと。

それで、どこに行けば広報のキーパーソンに会えるのか、最新情報を得られるのか、というのを知りたくて調べたんですけど、見つからなくて。どうやら、なさそうだと。「ないなら作るか!」と立ち上げたのがメデコミ会なんですよね。

日比谷:新規事業開発に従事されている間も、メデコミ会を続けていらっしゃいましたよね。鶴野さんの中で、職種は変わったけれど、コミュニケーションの仕事は……。

鶴野:広報からは離れましたが、実際の仕事の中身はコミュニケーションの要素が大きくて、コミュニケーションをテーマに仕事を続けているという意識は強くありました。また、メデコミ会の初期の頃は、「広報マンドットコム」というサイトでPublic Relationsに関する情報を発信していたこともあって、いろんなところから「PR業界について教えてほしい」と声をかけてもらったり、講演依頼をいただいたりするようになったんです。

記者会見が「すべて見られる」ことで、危機管理の在り方が変わった

日比谷:広報としてキャリアを積まれる中で、危機管理広報に注力するようになったのはいつ頃ですか? ソニーから独立されてすぐ?

鶴野:東日本大震災の頃からかな。実は、今のように危機管理が広く注目されるようになったのって、「ニコ生」が出てきてからなんです。ニコ生によって、記者会見を「すべて見られる」時代になった。記者会見の時間が長くなり、日常のコンテンツに変わっていったんです。

日比谷:なるほど。それまでは、テレビなどが一部を切り取って流していたけれど……。

鶴野:そう。記者会見といえばメディアの人たちのもので、一般の人たちは、ニュースで編集されたものを見ていたわけです。それがネット生中継の登場で、一般の人も、最初から最後まで見られるようになったのが大きな変化です。

さらにソーシャルメディアの発展によって、個人とのコミュニケーションがダイレクトに取れるようになった。発信側の企業は、メディアとのやり取りを考えるだけでよかったものが、それを見ている一般の人のリアクションまで意識したやり取りを考えていかなければいけなくなったんです。

日比谷:そうすると、メディアに対するコミュニケーションだけでなく、その先にいる個人にダイレクトに届くプロセスも含めて、すべて見られる前提で考えなければいけなくなってきたということですね。それについて対策を講じたり、専門家に教わったりしなければいけない流れが生まれた。

鶴野:マスコミ側も、ネットで注目されているものをコンテンツにするようになりましたからね。煽るという感覚は多分ないと思います。自分たちの読者や視聴者が喜ぶコンテンツを選んでいるだけですから。

危機管理広報は、普通のコミュニケーションの延長線上にある

日比谷:そうすると、その頃から鶴野さんも危機管理広報を意識されるようになったのですか?

鶴野:いや、私は通常時のコミュニケーションと、危機管理広報で必要となるコミュニケーション、双方にそんなに差があるとは思っていないんです。

日比谷:そうなんですね……!

鶴野:コミュニケーションとは、つまるところ、「発信する側」と「受け取る側」の橋渡しですよね。

クライシスというのは、双方の認識にきわめて大きなギャップがあるときです。だから危機管理広報は、難易度の高い、応用編のコミュニケーション。あくまでも、日常的なコミュニケーションの延長にあるものなんですよ。

日比谷:記者会見が「見える化」されるようになって、すでに十数年がたっています。鶴野さんから見て、企業の抱えるコミュニケーションのリスクは、どう変化してきているでしょう?

鶴野:まず、個人が発信慣れしてきているので、企業やメディアとの力関係が対等になってきていますよね。

これまでは、情報を持っている人たちが、そうではない人たちに届ければ満足してもらえる時代でしたが、反応が返ってくるようになった。たとえば、すぐに株価に表われたり、不買活動につながったり。リアルなリアクションとして、影響が見えるようになったのが大きな変化だと思います。

日比谷:リアクションが「見える化」されているから、対策を改善しやすいというところもありますね。

鶴野:だからこそ、時代に合わせて情報発信の仕方もアップデートすべきです。私が今、この社会情報大学院大学で広報について教えているのも、そうした機会を提供するためです。ここには教員はもちろん、学生にも最前線で活躍している人がたくさんいるので、私自身も大いに刺激を受けています。現時点で自分が身につけている知識やノウハウは、いつ有効でなくなるかわかりませんから。

受け手に「またこういうやり方しているの?」と思われたらもうダメですよね。たとえ当事者でなくても、教訓として次に生かしていく意識が大切だと思います。

自治体での取り組みは、“コミュニケーションの最適化“

日比谷:鶴野さんは最近、企業の危機管理広報だけではなく、災害時のコミュニケーションについてもライフワークにされていますよね。これも、コミュニケーションの課題を追いかけているうちにたどり着かれたのですか?

鶴野:そうですね。自治体によって、とりわけネット上で発信される情報はまちまちです。まだ基準がないからです。しかしこのままだと、たとえば災害時にどこに住んでいるかによって、命を守るための情報が変わってきてしまう危険性がある。

自治体の情報発信は、すべて「居住者」が軸になっています。しかし、居住者でなくても、気になった人がネットで情報を見たりしますよね。そして災害や非日常のことが起きると、その外側にいる人が、その場所にいる人たちのアクションを促すことが結構あるんです。

「おじいちゃん、おばあちゃん、早く避難しないと危ないよ」と、遠く離れて住んでいる家族が電話をかけたりするとか。だから遠くの人にもわかるように発信しておかないといけない、というのが私自身の考えです。

日比谷:現状は、あくまで住民にとってのコミュニケーションに限定されているんですね。

鶴野:そうそう。ネットで発信するんだったら、もっと初めての人でもすぐ反応できるくらいにわかりやすくしたほうがいいし、アクセスが集中しても見られるような緊急用のホームページも作っておくことも必要です。災害時特有の条件の中で、できることを一つひとつ検討していきたいと思っています。

こうした災害時の情報発信も、企業の危機管理広報も、根本的なところは一緒なんですよね。すべては、コミュニケーションの最適化。そう考えると、改善できることはまだまだたくさんあると思います。

自分の問題意識を追求するPRパーソンとしてのキャリア

「危機管理広報についてお話をうかがおう」。取材がはじまるまで、私たちは危機管理のトピックにフォーカスするつもりでいました。しかし鶴野さんの「すべてはコミュニケーションの延長でしかない」という言葉に、思わずハッとさせられました。すべての本質にあるのは、発信側と、受け手側のシンプルなコミュニケーション。通常時であろうと非常時であろうと、どんなに時代が変わろうと、その前提は変わらないことを改めて教えていただきました。

また、ご自身の問題意識を今なお追求しつづける鶴野さんのキャリアの積み方は、PRパーソンのみならず、多くのビジネスパーソンが参考にできるものだと思います。