広報はあくまで、ひとつの“武器”。「経営」と向き合うと、次のキャリアが見えてきた——松原佳代さんに聞く
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「このまま広報の仕事を続けた先に、どんな道があるのだろう——?」
いま、企業の中で広報を担う人材へのニーズが高まりつつあります。しかしその一方で広報は、経験を積んだ先に何があるのか、長期的なキャリアパスを描くのが難しい仕事であるのも事実です。
今回、私たちがお話を聞きに行ったのは、株式会社カヤックLivingの代表取締役である松原佳代さん。松原さんは面白法人カヤックの広報担当として、10年にわたり広報の仕事を手がけた経験をお持ちです。
松原さんはどのようなキャリアを重ね、広報としてどんな経験を得てきたのか。そしてなぜ、会社の経営を手がけることになったのか。これまでたどってきた道筋を、振り返っていただくことにしました。
Profile
松原 佳代さん Kayo Matsubara
1979年富山県生まれ。お茶の水女子大学 人間社会科学科心理学専攻 卒業。コンサルティング会社に勤務後、編集・ライター職を経て、2005年に面白法人カヤックに入社。広報および企業ブランディングを担当する傍ら、アート、住宅関連のマッチングサービスの事業責任者をつとめる。2015年に独立し、株式会社ハモニアを設立。スタートアップの広報戦略、広報人材育成をおこなう。2017年9月より、株式会社カヤックLivingの代表取締役を兼任。暮らし、住宅、移住をテーマとする事業を展開する。1歳、4歳の男子ふたりの子育て中。鎌倉在住。
興味があったのは「組織」の構築。広報はそのための“武器”だった
─ コンサルと編集・ライターの仕事を経て事業会社での広報を10年務め、独立した後に今度は経営者の道へ。これまで松原さんが歩まれてきたキャリアは、とても興味深いです。すべての軸となっているのが、「広報」的な役割なのでしょうか?
松原佳代さん(以下、敬称略):結果的にはそうかもしれませんね。ただ私にとって、広報の仕事はあくまでもひとつの“武器”なんです。はじめから広報に興味があったわけでも、こだわりがあったわけでもなくて。
─ そうなんですか。意外です……!
松原:私が関心をもっていたのは、「組織」の方です。組織はどんなプロセスで作るのか、会社はどうやってできていくのか、そこで人はどう動くのか——。新卒でコンサルティング会社に入社することにしたのは、それがひとつの理由でした。
─ なるほど。
松原:ただその会社で、いきなり広報の仕事をすることになったんですよね。当初、私は新規事業の立ち上げを担う部署にいたのですが、ある日突然、「ちょっと広報もやっておいて」と(笑)
─ そのときはじめて、広報の仕事を知ったのですか?
松原:はい。先輩についてイチから、広報の基本を教わりました。会社として発信したい情報を伝えるために、あらゆるステークホルダーの視点をふまえてメッセージを作り、コミュニケーションしていくのが自分たちの役割だ、と。
そこでこの仕事のおもしろさに触れ、もっと「発信する仕事」をしていきたいと思いました。そこで一度、編集の会社に移ったんです。
当時、私を拾ってくれた編集長には、「あなたは“お話”(ストーリー展開)が本当に下手ねぇ」と、まあ叱られてばかりでしたが……。
3年ほどの間にその編集長からストーリーの作り方を徹底的に叩き込まれ、私にとっては大きな転機になりました。いまでも、編集長が校正してくれて、赤ペンで真っ赤になった原稿を大事に持っているくらいです。
─ 広報の仕事の基本と、ストーリー展開のスキル。そこから松原さんのキャリアがはじまったのですね。
新規事業立ち上げと広報、“二足のわらじ”でスキルを活かす
─ その後、面白法人カヤックへと転職されていますが、どんなきっかけがあったのですか?
松原:私にとって、カヤックは「一番おもしろい会社」だったんです。実はもともとクライアントとしてお付き合いがあり、自分の既成概念をうち壊してくれた会社でもありました。
─ そのまま外部から関わり続けるのではなく、社員になることを選ばれたのですね。
松原:もちろん、そのままライターとして、第三者的な立場で追い続けるという選択肢もありました。でも、私はもっと主体的に関わっていきたかったんですよね。もともと、会社組織やチームに興味があったので。
当時はわずか20名の会社でしたが、組織が拡大して、たとえば10倍の規模になっても「面白法人」を維持できるのか。そのプロセスを一番身近で見て、自分の手で発信していきたいな、と。
─ それで、広報担当者として入社することになったのでしょうか?
松原:いえ、そこからまた、私の“二足のわらじ”がはじまるんです(笑) 当時のカヤックは、さまざまな事業をイチから立ち上げるフェーズ。私も広報の役割を担いつつ、Webサービスの責任者として事業を立ち上げることになりました。こうした事業の立ち上げ期は、広報の立場からみてもすごくクリエイティブで、やりがいのある時期だと思います。
─ ユーザーとのリレーションをはじめ、限られた予算の中で全方位的なPublic Relationsの視点が求められるフェーズですよね。
松原:そう。さまざまなリレーションの構築を考えながら、自分たちの手で事業を作り、育てていく。その過程では、今でいうカスタマー・サクセスに近い仕事もしていましたし、企業全体のメッセージとそれぞれの事業の文脈をどうつなぎ、ブランドをデザインしていくかも考えていました。私の場合は、そこで編集のスキルが活きましたね。
─ 事業単体の立ち上げにも関わりつつ、包括的なコーポレート・ブランディングも手がけていたのですね。
松原:そうですね。ブランディングに関しては、代表の柳澤と共に取り組んでいました。やはり会社として発信すべきメッセージ、その源泉は経営者の中にあるんです。企業にとって、一番のPRパーソンは経営者ですから。
私は広報担当として彼と対話を重ねながら、それをどう翻訳し、編集すればより社会の中で理解されるメッセージになるかを常に考えていました。それも、広報の重要な仕事のひとつだと思います。
会社のステージが変化し、新たなキャリアが拓けた
─ 最終的にカヤックで10年過ごされていますが、キャリアに悩んだ時期などはありましたか?
松原:ありましたよ。在籍中に結婚して長男を出産をしたこともあり、常に悩みは尽きなかったですね(笑)。
でも一番悩んだのは、5年ほど働いたときでした。当時、私はちょうど30歳。会社の規模が10倍になるまでやりきろうと決めてはいたものの、このまま広報の仕事を続けた先に何があるのか、よくわからなくなってしまって。
─ そうした時期、経験している人も多いと思います。松原さんはどのように乗り越えたのでしょうか。
松原:カヤックはベンチャー企業でしたから、常に会社のステージが変化していました。そこで、私にとって重要な出会いがあったんです。
日本を代表する大手企業で広報を担当されていた方が入社することになり、その新たな視点にふれ「この人ともっと働きたい」と思ったんですよね。中でも、一番大きかったのは経営についての知見を教えていただいたことでした。
─ それは具体的に、どんなことだったのでしょうか?
松原:主には財務諸表の見方など、「経営者が何を見ているのか?」ということですね。広報は会社を支える役割のひとつなんだから、もっと数字に強くなきゃダメだよ、と。経営上、重要になる数字を見て、次の中長期的な戦略を立てていく。そうした視点を得て、またひとつ広報の仕事がおもしろくなったんです。
もしこの出会いがなかったら、私は広報の仕事から一度離れ、もっと事業を作る方の仕事にフォーカスしていたかもしれません。また、独立して広報の仕事をすることもなかったと思います。
企業の中で一番のPRパーソンは「経営者」である
─ 当初の計画通り、社員20人だったカヤックの規模が10倍以上になったところで、ご自身のキャリアにも一区切りをつけることになったのですね。
松原:そうですね。まずはスタートアップ企業の広報サポートから仕事をはじめましたが、それだけをやるつもりはなかったんですよね。いつか、Public Relationsの新しいサービスを立ち上げたいと思っていました。
─ そこへ、カヤックの子会社であるカヤックLivingの代表になるというお話が舞い込んだ?
松原:はい。実はカヤックLivingが展開することになったサービスは、私が在籍中に事業責任者として関わったものだったんです。私自身も2度目の出産をし、自分の会社で手がける仕事のペースをちょうど落としていたところでした。良いタイミングでしたね。
─ いざ会社の社長となり、社員を抱えることに対しての不安はありませんでしたか?
松原:うーん。自分の会社で社員を雇った経験こそありませんでしたが、一度自分で会社を立ち上げていたこと、10名ほどのチームマネジメントは経験していたこと、かつて自分が手がけたサービスであることで、そんなにハードルは感じなかったです。
むしろ、広報の役割を突き詰めた先に、経営者というキャリアのルートを導けたのは意義あることだったと思います。
─ と、いいますと……?
松原:いまの時代に生きる経営者にとって、Public Relationsの重要性が増しているのは間違いありません。PRの延長線上にあるのが経営であり、企業の中で一番のPRパーソンは経営者。私はずっと、そう思ってきましたから。
─ カヤックLivingでは先日、新たなサービス「SMOUT」をローンチされたばかり。これからの展開も楽しみです。
松原:「SMOUT」はさまざまな地域と人の関係性をつくるためのWebサービスです。図らずして、PRを体現するものになりました。
私はもともと独立してPRのサービスを立ち上げたいと思っていたので、すべてがいつの間にか1本の線でつながっていたような感覚です。
─ ここまでお話をうかがい、広報としての役割をそれぞれの環境できっちりと果たしながら、自然な流れを逃さずにしなやかにキャリアを築かれてきたような印象を受けています。
松原:「広報を続けよう!」とこだわっていたわけでもないですし、そんなつもりもなかったんですけど(笑)。ただ、Public Relationsの知見が私自身の武器になっていることは間違いありません。
私のキャリアについてひとつ何か言えるとすれば、常に新しいことに挑戦してきたこと、これからもそうしていきたい気持ちがあるということでしょうか。
もし新しいチャレンジの機会がめぐってきたら、また飛び込んでみるかもしれない。だからもしかすると、数年後には今とまったく違う仕事をしているかもしれませんね。
軽やかに「広報の先のキャリア」を歩んでいく
「キャリアを築くというより、流れに乗ってきただけ」と笑う松原さん。ですが、一つひとつの道筋を丁寧にたどっていくと、必ずご自身が身を置いた環境で、求められること、必要な役割を果たしながら、きっちりと最大限の成果を出し続けていらっしゃることがわかりました。「広報の先にどんなキャリアがあるのか」——松原さん自身も悩まれたという問いに対するひとつの答えを、これからも軽やかに体現されていかれるのでしょう。その姿勢から、私たちも学ぶことが多くありました。(編集部)