PRの発祥は19世紀のアメリカ—— パブリック・リレーションズの歴史をたどってみる【vol.1】
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自分が関わっている仕事は、どのくらい昔からあったのか。そもそも発祥の地はどこなのか。どんな経緯、どんな背景があって、現代に受け継がれてきたのか——。考えてみたことがあるでしょうか?
日々、私たちが当たり前のようにふれていること。すべてのものごとには必ず、なんらかの”歴史”があるものです。
もちろん、パブリック・リレーションズ(PR)にも。
目の前の仕事に一生懸命になっていると、なかなか過去を振り返っている余裕はないかもしれない。でも私たちが歩んでいる1本の細い道は、たしかに過去から現在へとつながれてきたもの。そこには、たくさんの資産があると思うんです。この道を切り拓いてきた先人の想いだったり、思いがけない起源や背景だったり。
そして、そうした歴史をたどることで、きっとこの先の未来が一体どっちに向かっていくのか……その道筋を示してくれる、ささやかなヒントも得られるはず。
ではご一緒に、PRの歴史をたどる旅をはじめましょう——。
今回は、まず「PRの源流」へとさかのぼってみることにします。
政治と権力者とパブリック・リレーションズ
そもそものPR活動の起源は、ときの権力者が人心掌握のために行ったさまざまな施策にあるようです。今でいう「ガバメント・リレーションズ」でしょうか。戦争などをはじめとする国の大事に民衆を参加させるため、わかりやすいスローガンやシンボルなどを用いてコミュニケーションを活性化し、一体感を醸成したのです。
ちなみに、最初に「Public Relations」という言葉を使ったのは、アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンだという説があります。1807年の自身の選挙キャンペーンにおいて、「Public」と「Relations」をはじめて組み合わせたのだとか。
「Relations」と名はついているものの、この頃のPRは、権力者から民衆への一方通行。どちらかといえば、プロパガンダ的な側面が強かったようです。
そしてそれは19世紀後半、マスメディアの登場により、ますます加速されていきます。
マスメディアの誕生、情報流通におきた革命
アメリカを代表する新聞のひとつ、「NYタイムズ」が創刊したのは1851年。19世紀半ばになると、それまでは娯楽が中心だった新聞が、政治に対する論説などを報じるようになります。そして一般紙の発行部数は、またたくまに増加していったのです。
つまり、情報を大勢の人々に届けられる手段——「マスメディア」が生まれたわけですね。
いままでになかった、民衆向けの情報伝達の手段ができると、どうなるか。権力を持ちたい人たちは、当然のことながら自分のために使いたい。そして新聞の記事になりそうなネタを、売り込むビジネスをする人が出てくる……。
時代ごとのPRにおけるコミュニケーションの特性を4つに分類し、そのモデルを提唱したジェームス・グルーニッグ博士によると、19世紀のパブリック・リレーションズは「プレス・エージェントリー・パブリシティ」というモデルなのだそうです。
“プレス・エージェントリー”というのが、新聞に情報を売り込んでいた人たちのこと。当時でいう、パブリシティ専門のプロですね。ニュースリリース(プレスリリース)や、記者会見が行われるようになったのも、この頃だそうです。当時、パブリシティを活用していたのは、やはり大統領などをはじめとする政治家たちだったようですが。
政治的なプロパガンダ型PRから、真実の伝達へ
「プロパガンダ型」という表現からもわかるように、当時のPRは決してフェアなものではなく、自分たちに都合のいい情報、センセーショナルな話題などが中心となっていました。
会社組織がかたちづくられ、顧客や社会に対して説明責任を果たしていく——そんな、次のモデルのパブリック・リレーションズへと移行していくのは、20世紀に入ってからのことです。
——— vol.2につづきます————
<参考文献>
猪狩誠也(2007)『広報・パブリックリレーションズ入門』 宣伝会議.
井之上喬(2006)『パブリック リレーションズ 戦略広報を実現するリレーションシップ マネジメント』 日本評論社.