PRという「仕事」はどう変わる?──Withコロナ時代のPRについて話そう(前編)イベントレポート#25
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昨今の新型コロナウイルスの感染拡大により、企業と個をとりまくコミュニケーションのあり方は再編を余儀なくされています。日常生活のオンライン化、企業のDX推進などが加速するなか、PRパーソンには今後どのような役割が求められるのでしょうか。
2020年4月27日、PR Table Communityは、PR領域における4名の有識者を招き、「PRの仕事・概念はどう変わる?」をテーマに初のオンラインイベントを行いました。
コロナ禍真っ只中の今こそ考える、Withコロナ時代のパブリックリレーションズとは──。
2万5000人超が視聴し、オンラインという壁を超えて白熱した2時間に渡る議論の様子を前編・後編に分けてお届けします。
※イベントレポート後編はこちら
▼ゲスト
嶋 浩一郎さん(株式会社博報堂 執行役員 兼 株式会社博報堂ケトル 取締役・クリエイティブディレクター)
松原 佳代さん(株式会社カヤックLiving 代表取締役 みずたまラボラトリー株式会社 代表取締役)
三浦 崇宏さん(The Breakthrough Company GO 代表取締役 PR/Creative Director)
河 炅珍さん(広島市立大学・広島平和研究所 准教授)
▼モデレーター
菅原 弘暁(株式会社PR Table 取締役)
※所属・職位はイベント開催当時/2020年4月
誰もが発信者になり得る時代、身につけるべき「メディアスタンス」
菅原弘暁(以下、菅原):今夜は「Withコロナの時代」において、PRという仕事、そしてPRという概念がどのように変わっていくのかセッションできればと思い、東京・広島・ポートランドの3都市を繋がせていただきました。事前に皆さんから気になっているテーマを挙げていただいたのですが、まず嶋さんの「メディア情報リテラシー」から。なぜこのテーマを挙げられたのでしょうか。
嶋浩一郎さん(以下、嶋):4週間も家に篭っていますが、メディアへの接触態度がすごく変わってきたんですよね。まず読書量がめちゃくちゃ増え、次にラジオをよく聞くようになった。それから、「インフォデミック」という言葉が耳に入るようになりましたよね。
「ワイドショーの情報は信頼性に欠けるのでは」「ソーシャルメディアで感染症の専門家が発信する情報こそ信頼できる」という意見が出てくる一方で、今ネットではフェイクニュースがすごい勢いで出回って、日本人も「トイレットペーパーが買えなくなる」という誤った情報に翻弄された。ますますメディアリテラシーが求められるようになってきているな、と。
三浦崇宏さん(以下、三浦):これからは、情報の“受信者”であることを前提としたメディアリテラシーだけじゃ弱くて、同時に“発信者”であることを前提とした「メディアスタンス」が問われるようになっていくんじゃないかと僕は考えています。
どんな人の発言でも爆発的に拡散していく可能性がある中で、モラルやセンスを誰もが身につけ、どういう立場で発言していくのか定義づけを行う必要性が出てきていると思います。もはや義務教育の段階で教えるべき話なのかもしれない。
菅原:河さんご自身は、あえてSNSから距離を置かれていますよね。アカデミックの観点から、今のお話をどう捉えますか?
河炅珍さん(以下、河):メディアリテラシーは、「新しいテクノロジーを駆使するための教育」として欠かせないテーマで、これからもっと探究されるべき領域だと思います。ただ、今三浦さんがおっしゃった通り、そこから先が大事なんですね。
私はよく「3つのC」と説明しています。まず一つ目が「Culture」で、多様性など、文化的側面を考えることを指します。二つ目は「Critical」。つまり批判的であること。私たちは単なる受信者ではなく、監視機能を持つべきだという意味を含んでいます。そして三つ目が「Creative」。メディアの担い手として、情報の循環に自ら創発的に参加することを示します。
これまでマスメディアがアジェンダを提示してつくってきたコンテンツが、これからは各個人にシフトしていく。その際、当然ながら責任や自覚がとても大事になってきます。
菅原:やはり個人のメディアリテラシーは教育が必要な領域だと感じますよね。次に「ファッション・トレンド」にテーマを移したいのですが、個人がフェイクニュースを流して人を騙せるようになってしまった一方で、逆にトレンドもつくっていけるのではないか? という気もしますが、ポートランドの松原さんはいかがでしょうか。
松原佳代さん(以下、松原):先ほどの「メディアと情報リテラシー」のところからお話したいのですが、個人的な体験として、コロナがやってきてこれまで以上に英語のニュースを読んだり、オレゴン州の公式ホームページを見に行ったりするようになったんですね。自分の身を守らなくてはと思った時に、一次情報を積極的に取りに行くようになった。一次情報を得ることが、特に個人が発信者になる上では、重要なのではないかと感じました。
改めてファッション・トレンドの話なんですけど、オンライン環境が当たり前になってくると、特に服装の“トレンド”が大きく変わってくるだろうと身をもって感じていて。
三浦:みんなからは見えないけど、もしかすると今、僕がズボンを履いていないかもしれないですもんね(笑)。でも洋服に関しては、まったく買う気がなくなりましたよね。まだ今ほどコロナの影響が深刻じゃなかった2月頃、「経済を止めるな」というマインドが強かった時期に、10万円くらいするルイ・ヴィトンとクリスチャン ルブタンのサンダルを2足買ったんですけど、結局一度も履いていない。そう考えると、特にラグジュアリーファッションの持つ意味については、見直さなければいけない時代がくるのかな、と思いますね。
松原:服を身につける目的が、「人に見せるため」というところから「自分の精神的充足を満たすため」という方向へ変わって、そこに繋がらない消費は今後減っていくんじゃないかな、と。こちらに来てから、日本人がいかにトレンドに敏感かということに気づかされたんですね。女性の髪色やリップの色が、季節に応じて変わったり……。逆にいうと、それだけトレンドを消費していることだと思うんですが、今後コミュニケーションの仕方が変化するにつれて、その志向も別のところへ向かっていく気がしています。
三浦:ファッション誌に良くある特集で「1カ月着まわしコーデ」って言ったって、今の生活じゃずっと家の中ですもんね。
松原:移住してからずっとリモートなので、この生活が始まって8カ月が経ちますが、私は2コーデで着まわしています(笑)。
PRの役割は「政治的主体の政治的営み」へ回帰する
菅原:僕自身も私生活が少し変化していて。例えば、コンビニで選ぶ紅茶をその日によって変えるようになったんです。家にいても楽しめることは何かと考えた時に、自然と意識が変わったんですね。そうすると、これからは生活情報誌がもっと増えて、ファッション誌の「モテコーデ」なんかは手法を変えざるを得ないかもしれない。
嶋:本当に要るものと要らないものが、明確に分化していくよね。さっきの「個人がメディアになる」という話で思い出したんだけど、Zoom会議をしていると、その会議に本当に要る人と要らない人がわかるじゃないですか。「この人何も発言していないけど、肩書きがあるから出てるんだよな」みたいな。
反対に、絶対に要る人がすごく明確になってくる。企業のブランディングでそれを考えてみると、企業が提供できる価値の中で要るものと要らないものも明確に判断されるようになっちゃう。「うちは“これ”を提供できます」という企業の本質的なパーパスみたいなものは、今考えやすい状況にはなってくるはず。
松原:今はまだ「暮らしの中でエッセンシャルかどうか」という考え方だけれど、これからは「社会において、地球環境において、この企業やこの事業がエッセンシャルかどうか」ということがより問われていく時代がくると思います。
嶋:一方で矛盾するようだけど、エッセンシャルを追求するあまり「曖昧な境界線の領域」みたいなものが全部なくなってしまうのもどうなのかな、と。
三浦:エッセンシャルというのは「本質的であるかどうか」が問題なのであって、「必要かどうか」ではないと思うんですよ。「必要ではないが本質的である、ゆえに必要である」というものはあるはず。だからこそ個人の生活レベルで、企業の活動レベルで、社会の価値観的レベルで、それぞれが何が本質的であるかを問い直すことが重要になってくるんですよね。物事を「不要不急」という概念で切り捨てるのは、すごくもったいない。
河:効率性だけで社会は豊かになれないと思います。その一番の証拠が文化ですよね。エッセンシャルをどう定義していくのかについて、PRパーソンは、企業や政府、社会の意思をマッチングさせる仕掛け人、あるいはデザイナーとしての役割も担えると考えています。それから、ファッション・トレンドというテーマで改めて感じたのは、やはりファッションは「都市とセットになっていた」ということですね。他者の存在を前提とした時に強く意味を持つものであって、今のように都市機能が止まっている状況ではファッションも止まってしまう。
菅原:まさにテーマの一つでもある「関係性を作る『場』」のお話ですよね。都市と関係性を結べなくなった今、ファッションが何と関係を結ぶのか。もしかすると僕たちが日々対峙している、スマホやPCの光る画面と関係構築する方法を考えなくてはならないのかもしれません。さて、続いてのテーマは「政治家、経営者、タレント」。三浦さん、いかがでしょうか。
三浦:東日本大震災をきっかけに、「人の役に立ちたい」と実感した子どもたちが、いま優秀な経営者になっているというケースが多々あるじゃないですか。今回ももしかすると、将来政治家を志す若者が増えるんじゃないか、と希望を感じていて。各国の優秀な政治家の言動がリアルタイムでSNSに流れてくるのを見ていると、政治家が社会にとっていかに重要な職業かを改めて感じさせられるじゃないですか。
松原:毎日行われるニューヨーク州のクオモ州知事の会見が、米国全体を勇気づけているのは確かですね。「生活者が暮らしやすい社会をつくる」というのが政治家の仕事だと思うんですが、それが具体的に何かと言うと、公衆衛生面、経済面、そして人が真っ当な暮らしや生活をするための権利、このトライアングルをいかに生成するかだと思うんです。コロナを通して、明確にリーダーシップをとらないと、それらがうまく循環しないということが判明しましたよね。
嶋:本来のPRパーソンの役目に立ち返ると、政治家がビジョンを描いたり、産業が技術を何らかの形にしたりしたものを、言語化などを通じていかに世の中に定着させるかってことだったわけでしょ。だから今こそ、PRパーソンが活躍できる時代だって思うよね。単純にパブリシティをするんじゃなくて、「こういう世の中がきたらいい」「こういう働き方ができたほうがいい」という想いを、どういうテクノロジーで実現できるかを言語化する。
松原:嶋さんの今のお話、今回マスクとPPE(個人防護具)の製造において、米国内の企業がとった行動で可視化されたような気がしています。政治家がマスクとPPEがどれだけ足りないか明確に示し、必要性を呼びかけ、ニューバランスやナイキ、スタートアップのオールバードなどがマスクや防護服をつくった。そして「どんな機動力を生かして実現したのか」「なぜ私たちがマスクをつくるのか」ということを、PRパーソン的立場の人間が企業メッセージとして発信した。
河:これまでPRは、企業にとって欠かせないテクノロジーだと思われてきたんですが、嶋さんもおっしゃるように、元々は政治的な組織との関係性で発達してきた歴史があります。少し硬い表現になりますが、企業のPRは「経済的主体の政治的営み」だと私は捉えているんです。広告のような「経済的主体の経済的営み」も必要ですが、企業は社会的存在なので、政治的な営みにも当然拡張していく。
これからのPRは、「政治的主体の政治的営み」に再び回帰していくのではないでしょうか。世界各国の政治家たちによる、個人的なアイデンティティだけではなく、国家ブランドを背負って行う競争的な自己演出が、連日メディアを埋め尽くしていますよね。今のような危機的状況に限らず、パブリックリレーションズが政治の領域へ拡張していく可能性とともに、「パブリックディプロマシー」など、新領域も活性化すると思います。
菅原:PRという仕事がどう変わるのか。今お話を聞いてきただけで大きな可能性を感じたんですが、目の前のことでいうと、メディアに対するスタンスは変えなくてはいけない。メディアに報じてもらおうとするのではなく、ポジティブなニュースをどうやって世の中に届けていくのかを共に考えていく。そして、一次情報を託すメディアは必ずしも媒体ではなく、個であってもいいのではないかと感じました。
もうひとつは、河さんのおっしゃる「PRの政治的な営み」というところにヒントがあったように思います。明日からすぐに実践できることばかりではないかもしれないけれど、積極的に取り組んで行きたいテーマだと感じました。
そして、PRという「概念」はどう変わる?
新型コロナウイルスの感染拡大によって、私たちのコミュニケーション環境だけでなく、日々の消費行動や生活の価値観さえも変わっていることを実感しました。大小さまざまな変化を見逃すことなくキャッチして、企業や団体のコミュニケーションに生かそうとする姿勢が、あらためてPRパーソンに求められていると感じます。
イベントレポート後編では「PRという『概念』はどう変わる?」をテーマに、ゲストによる白熱した議論が続きます。(編集部)