組織・コミュニティは宗教化すべきではない?!──イベントレポート#22
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「コミュニティ」がバズワードになりつつある昨今、組織に関する悩みを抱えるビジネスパーソンが増えてきました。その解決方法の1つとして、「宗教」が参考になるのでは? という声も聞かれますが、果たして本当なのでしょうか。
2019年10月15日、PR Table Communityイベント第22弾として、僧侶・未来の住職塾 塾長であり、東京神谷町にある光明寺僧侶の松本紹圭さんをゲストに迎え、「組織・コミュニティは宗教化すべきではない?!お坊さんが考える、これからの人が集まる場のつくり方」を開催しました。
組織・コミュニティは宗教化すべきか? という問いから発展させ、人が集まる場づくりにおいて重要なことは何か、宗教とPRや関係構築について、会場との対話を交えながら語り合いました。
▼ゲスト
松本 紹圭さん
僧侶・未来の住職塾塾長
1979年北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader、Global Future Council Member。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、7年間で600名以上の宗派や地域を超えた若手僧侶の卒業生を輩出。『こころを磨くSOJIの習慣』(ディスカバートゥエンティワン)他、著書多数。お寺の朝掃除の会「Temple Morning」の情報はツイッター(@shoukeim)にて。
▼モデレーター
覚張 真也
株式会社PR Table
映像製作会社で大手企業のCMから、中小企業の会社案内映像などの制作進行を担当。
大手総合PR会社にて、スポーツメーカー、日用消耗品、飲食店など様々な企業の広報課題に合わせ、PR活動をサポート。
2018年7月(株)PR Table入社。
組織・コミュニティは宗教化すべきか?
覚張真也(以下、覚張):PayPal創業者のピーター・ティール氏は「最高のスタートアップは、マイルドなカルトだ」と言っています。カルトと宗教は同じではありませんが、私自身スタートアップにいて、分からないでもないなという感覚があります。
松本 紹圭さん(以下、松本さん):私は新卒でお坊さんになりましたので企業のことは詳しく分かりませんが(笑)、学生時代、実は広告代理店に就職しようと思っていました。今もそうですが、何かメッセージを伝えること、つまりコミュニケーションやパブリックリレーションズの領域に興味を持っていたのです。
MBAでマーケティングを専攻したのも、最も宗教に関係があるのではと何となく感じていたからです。以前、コンサルティング会社の役員の方と「マーケティングは、キリスト教から始まっている」という話で盛り上がったこともあります。
「宗教」というカテゴリはビジネスとは遠い場所にあるようで、やっていること・やり方には重なる部分も多いのではないでしょうか。宗教が参考になる部分もあれば、反面教師にすべき部分もあるのでは。
覚張:松本さんは、仏道に入る前から「宗教って気持ち悪い」と思われていたんですよね。
松本さん:今でも思っていますよ(笑)。広告代理店に興味を持っていた私が、宗教の世界に入って感じるのはカルト性です。
「宗教」という言葉に込める意味は人それぞれ異なりますが、日常会話で「それ、宗教っぽくない?」と言う場合、”気持ちの悪いもの”として扱われていますよね。
それをもう少し言語化すると、カルト問題を研究している先生から「唯一の正しさへの依存」と教えていただいたことがあります。
多かれ少なかれ、カルト性はすべての人間が持っているものなのだと思います。
覚張:確かにそうかもしれません。
松本さん:宗教は英語で「religion(レリジョン)」と訳します。religionは西洋からきている言葉で「固く結ぶ、縛る」が語源らしいのです。つまり、宗教には「神と一対一で結ばれる」というニュアンスが入っているんですね。
その「縛られる、結ばれる」というreligious(レリジャス/宗教的)なマインドセットに対して、私は「気持ち悪いな」と思ったということです。カルトの唯一の正しさへの依存現象とreligionには近い側面もあるな、と。もちろん、全部がそうだとは言いませんが。
巷にあふれる○○教
松本さん:ただ、そういうカルト性やreligionはどこにでもあります。仏教やキリスト教もそう。「会社教」「日本教」など、「○○教」といわれるようなreligionであれば、誰の心にもあるのではないでしょうか。
例えば先日のラグビーの試合を見て、日本を応援するし、勝ったら嬉しいと思う。それは自分が日本というグループに属しているアイデンティティでひとつのreligionとも言えます。人によって強弱はありますが。
覚張:それが「会社」という組織になると、なおさら際立ってきますよね。
松本さん:そうですね。「会社教」も本質は同じで、毎朝会社のクレドを唱和したり、社長が作詞をした歌を歌ったりとか……。今の時代そこまでする会社はないのかもしれませんが、日常的にreligionは存在すると思います。
日本の場合、「私は無宗教だ」と言う人がほとんどかと思いますが、実は日本は「○○教」が溢れる、宗教色の強い国民性ではないかと私は感じています。
覚張:本能的な部分なのかもしれませんね。
松本さん:そうですね。宗教化しようと思わなくても、放っておいたらそうなってしまう。何かしら恐れを感じると、人は集団をつくります。3人以上の人が集まれば互いに依存しあい、縛りあうといいます。それをどう避けるか、行きすぎないようバランスを取って、カルト化しないようにする。そこに知恵が必要なんだろうと思います。
覚張:私は大学までサッカーをやっていて、ある種の宗教性を感じるほどかなり戦術を刷り込まれてきました。結果としては良い成績を収められたのですが、振り返ってみれば、まさに「唯一の正しさへの依存」だったのかな、と思います。
大学レベルでは日本一になれましたが、格上のプロチームには全く歯が立ちませんでした。当時のやり方を否定するつもりはなく、とても合理的であったと思っています。恐らくある一定のレベルの中では、宗教性というか、強い結びつきが機能する部分はあるのだと思います。でも、それより上のレベルに行くためには、縛られるままでは駄目なんだな、と今は感じますね。
松本さん:おっしゃる通り、組織・コミュニティを宗教化――ある意味、洗脳的なことをすれば、ある程度のところまでは行けるというのも確かにあるかもしれません。
では、それ以上のレベルに行くためには何をすればいいのでしょうか。組織の構造変革をすればいいのか、ストラクチャーを変えればいいのか……。私はそういうことではなく、それまである種の洗脳の中でやってきたところから抜け出し、一人ひとりが目覚め、自立的に動いていくことがポイントだと思います。
覚張:おっしゃる通りですね。
松本さん:人間は放っておくと、恐れをベースに縛り合うもの。でも縛り合うと苦しくなる。その苦しさから自由になっていこうという提案や実践が、お釈迦様の教えだと思うんです。自分の「恐れ」をよく見つめ、それを手放していくようなイメージです。
それが「正しく見る」こと。ブッダとは「目覚めた人」という意味なんですよ。悟り、気づきを得た人、目覚めた人がブッダなので、誰もがブッダになれる可能性があります。
一神教では、「自分がいつか神になる」ことはあり得ませんが、仏教はブッダになる道。そのための教えなんです。ここで言う「目覚め」とは、恐れを手放し、依存を離れて自立していくこと。自由に何にも執着しないことを指します。
ティール組織と仏教は同義ではないか
松本さん:少し前から話題になっている「ティール組織」とは、みんながそれぞれ自立していて、自発的・有機的につながっており、人として理想的な在り方が実現されている組織。それは「みんながブッダになる」のに近いのではと考えています。その状態が組織と呼べるか分かりませんが、その状態で何かに取り組むことができたら、素晴らしいだろうと思います。
しかし実際は、そう簡単にはブッダになれません。組織を変革してティール型にしてみたけれど、うまくいかなかったという話はよく耳にします。
覚張:個人それぞれが、自分はどうすべきかを考え、自立していく。難しいことかもしれません。
松本さん:恐れを抱えている人が、そんな簡単にはブッダになれないんです。ブッダになるために、自分を高めて修行していこうというのが上座部仏教系です。
それに対して、「ブッダになれない私」のために開かれた道が、もう一つの仏教の流れである大乗仏教。日本の仏教は宗派を問わず、ほとんどが大乗仏教です。ブッダになれないなりに、そこに近づくプロセスの中でも、より苦しくなく生きていくことが大事。恐れを抱えながらも、より苦しくなく生きる知恵とは何かを考えたのが大乗仏教だと言えます。
カルト化しないために、複数の依存先を持つ
松本さん:組織・コミュニティが宗教化しても限界がある。かといって、みんなティール、つまりブッダになろう、自発的になろうといっても、そんなに簡単にはいきません。自立でもなく、カルトに戻ることも苦しい。では、どうやってバランスを取ればいいのでしょうか。
そこでご紹介したいのが、東大医学部の准教授であり、理学博士の熊谷晋一郎先生の言葉です。先生は脳性麻痺によって車椅子生活を送られています。
車椅子の人が一人暮らしをするのは大変です。倒れてしまったら、誰かの助けが必要ですよね。熊谷先生は自立しようと思って、全部自分でやろうと思ったけれど、やはりできなかったそうです。「でもいろいろな人が助けてくれた。つまり自立とは、たくさんの依存先、助けてくれる人やコミュニティを持つことだ」とおっしゃいます。これは大乗仏教的――つまり恐れを抱えながら、より苦しくなく生きる知恵として、非常に優れていると感じました。
覚張:自立とは、依存先を増やすこと……。
松本さん:会社教「だけ」、日本教「だけ」など、依存先がひとつしかないと、非常に不健康でカルト化しやすい。「これさえあれば大丈夫」「この人の言うことさえ聞いていれば、絶対に間違いない」というのは、まさに極端なカルトですよね。
光明寺では「テンプルモーニング」と名付けた朝の掃除会をやっています。ここでよくお話するのが、「ここに来たらすべてが救われるわけではありません。だけど、みなさんの居場所、依存先のひとつにするくらいの気持ちで、自分の距離感でこの場を定義していただければ」ということです。
お寺は一種の宗教空間であり、religious(宗教的)になりやすい文脈を持っているわけです。そこに適度に関わってもらうこと、バランスを取ってもらうことを心がけています。
覚張:宗教という形で縛るのではなく、主体的に参加してもらう、自分で考えて選んでもらうわけですね。
松本さん:自分の心身が健やかであるために、適度な結びつき、関わりを持ってもらうということです。
覚張:それがひとつではなく、さまざまな場所にあったほうがより健康的な関係を築けるわけですね。
でもそれは、コミュニティを運営する側、組織をつくる側からするとなかなか難しい気がします。「どこに行ってもいいよ」とオープンな形にしてしまうと、強い結びつきは生まれにくくなるのでは、選んでもらえなくなるのではと考えてしまいます。そのバランスはどう考えれば良いでしょうか。
松本さん:確かにコミュニティを運営する側に立つと、参加者を囲い込みたいと思うかもしれません。でも自分が参加者側に立ったとき、囲い込む意図が見えた時点で気持ちが萎えることもありますよね。
コミュニティ・組織をつくることが目標になってしまうと、関係性は縛られてしまい、不健康なコミュニケーションになってしまいがちです。
覚張:囲い込むのではなく、個人として成長してもらうために何ができるか、気づきを与えるようなイメージでしょうか。
松本さん:コミュニティがどうであるかは関係なく、本当にその人のために何ができるのか、何が良いのかを一緒に考えてあげる。そのコミュニティでのつながりが、その人のwell-being、より健やかに過ごすことにつながるのであれば、つながってもらえば良いでしょう。でもつながるかどうかは自由ですよ、というくらいのコミュニケーションが大事なのではないでしょうか。
覚張:でも「縛られない自由なコミュニティ」を今すぐつくるのも難しいですよね。より良い関係性を築くためには何をすればいいのか、次のテーマでより踏み込んだお話を伺えればと思います。
人が集まる場づくりにおいて重要なことは?
覚張:組織であれ会社であれ、人が集まる場をつくるにあたって、考えるべきことは何だと思いますか。
松本さん:17年お坊さんをやってきて、場づくりを考える際にお寺は象徴的な題材のひとつだと感じています。いろいろやってきて思ったのは、誰の人生、生活にも「関係」があるということです。
スティーブ・ジョブズもプレゼンの際、「なぜそれが私に関係があるのか」を最初に示すと言っています。いきなり製品のスペックを伝えるのではなく、今の生活で何が不便かを示し、「こういうことができたらいいと思いませんか? それを可能にするものがここにあるんです」と伝える。それで聴衆は「自分に必要だ」「欲しい」となるわけです。
まったく新しいものを取り入れてもらうのは、非常にハードルが高い。身近な事柄で何か「関係」、つまり共通項をつくることが大事なのです。全く新しいものとして伝えるのではなく、共通項を伝える。それが能力や属性を問わず誰にでもできること、それをやることで競争が生まれないことも重要だと思います。
覚張:競争が生まれないこと、なるほど。
松本さん:もちろん、競わせることでモチベーションを上げるやり方もありますが、それが上手くいかなくなってきているように感じます。いわゆるインセンティブ――会社では最終的にお金や待遇に還元されるものですが、特に若い世代はお金がインセンティブにならなくなりつつあります。
最近の組織・コミュニティでは、健やかに働けること、そのコミュニティに安心していられることが大事になってきています。むやみに競争を煽るのとは異なる取り組み、カルチャーづくりが重要です。
あとは、自分のやり方で行動することが許されること。お金や待遇のような外的なインセンティブよりも、「自分が決められる」という自己決定が幸福度に寄与するという話もあります。
出番があるから、居場所になる
松本さん:もうひとつ重要なのが「出番があるから、居場所になる」ということです。お寺のイベントでも、「お茶とお菓子を用意して、手厚くおもてなししますよ」と言うと、意外と来にくいようです。「こんなにしてもらったら、何か持っていかなければいけないかな」と思われてしまうみたいで(笑)。
覚張:逆にハードルが上がってしまうわけですね。
松本さん:はい。そうすると「もてなす人」と「お客さん」という関係になってしまうんですよね。そうではなく、そこに自分もコミットしているんだ、自分も場をつくる一員なんだという感覚を持ってもらう。出番がある、役に立てている、だから居られる、ということです。
覚張:とても納得できます。
松本さん:若い世代からの人生相談でよくあるのが「いつも不安なんです」というもの。仕事をしながらいつも不安だ、私は本当にこの場所で価値が生み出せているのだろうか――。いつもそう考えてしまって苦しいとおっしゃる方が、かなりいらっしゃいます。
別に価値を出すも何もそのままいればいいですよ、「あなたはそのままでいい」というのが仏様のメッセージですから、とお伝えしていますが、言われただけではなかなかそう思えないんですよね。
だから小さなことでもいいので、「ちょっと役に立てているな」という実感が持てる仕掛けをつくるのです。それがコミュニティに人が定着していく、居場所感を出していくのに大事なのだと思います。
続けるためには仲間づくりが大切
松本さん:自分との関係があること、自己決定できること、出番があることに続いて、最後に重要なのが「続けること」です。先ほど挙げたテンプルモーニングも、たとえ人が来ない期間があっても「あそこにあるんだよな」と思い出してもらえる存在であること自体が重要です。実際はそこに行っていなくても、その人にとって心の支えになります。
覚張:続けていくためにやらなければならないこと、意識すべきことはありますか?
松本さん:具体例を挙げましょうか。今話したことがすべて詰まっているのが「掃除」です。続けようと思って無理するのは駄目で、無理なく続けられて、かつ自分にとってそれが良いことだと思えること。それをちょうどいいペースでやる。掃除は自分の身近にあり、お坊さんが呼びかけるのに最高のテーマではないかと思っているんです。
テンプルモーニングは私個人と光明寺のTwitterで呼びかけ、お経を読んで掃除して、みんなでお茶を飲むということをやっています。
覚張:掃除に参加することで、居場所をつくってあげているわけですね。
松本さん:そうですね。続けるために重要なのは、「仲間」の存在です。仲間の重要性に関して、ブッダも「良き仲間を持つことは、道の半ばではなくすべてである」という言葉を残しています。何かを成し遂げようとしたとき、自分だけではなかなかできないよ、本当に良い仲間、一緒に歩んでいく仲間を持つことが大事なのだと言っているんです。
テンプルモーニングでは呼びかける側の人間として、私はコミュニティマネージャー的なポジションを担っています。でも自分のコミュニティだという意識も特にありませんし、自分も参加者の一員として仲間たちに助けてもらってやっている感覚です。それで2年以上、約55回ほど続いてきました。
覚張:私はこれまで、仏教、仏道は「一人で向き合うもの」というイメージを持っていましたが、元になるのは「つながり」や「仲間」なのですね。どうしたら仲間をつくれるのでしょうか。
松本さん:そうですね。テンプルモーニングは、みんながそれぞれ自分のスタンスで関わっていいような、風通しの良さを意識しています。毎回来る人もいれば、たまに思い出したように来る人もいますし、もちろん初めての人もいる状態です。
コミュニティにとって新陳代謝も重要です。よくお寺で坐禅会をやっていますよね。そこには「俺、もうずっと通っているし」みたいな常連さんが現れます。常連さんは何も言わずに勝手に座布団を出してくるなど、新しい人にどんどん不親切になっていくんですね。いわゆる常連マウンティングです。
そうなるとコミュニティは停滞しますよね。その点、掃除はマウンティングしにくい。新参者も何もないというか、掃除の上手い・下手は問われないので、競争が生まれにくいんです。それはコミュニティが硬直化しないための重要なポイントかもしれません。
宗教界のザッポスになりたい
松本さん:お坊さんは信仰にこだわりが強い人も多いですが、信仰心は人それぞれです。自分自身の問題なので、他人がどうこう言っても意味はないし、それを始めるとreligiousな組織になりやすい。競争が始まってしまうんですね。
正解はないので、自分にちょうどいいスタンスがベストであって、他人と比べることにあまり意味はないのではと思っています。テンプルモーニングや坐禅会でも「毎回いらしていますね」「もう50回も来ていますね」と言うのがせいぜいではないでしょうか。回数はただの回数ですが、「続けてきた」事実として重みはあると思うので。
覚張:確かに「長さ」はひとつの指標になりますね。企業でいうと勤続○年など、そのコミュニティにどれくらい属していたのか、というように。一方で、入り口のハードルを下げ、お寺でいえば「別の宗派の話を聞いてみたらどうか」とたくさんの選択肢を与えることで、一つひとつの結びつきが弱くなってしまうのではという「恐れ」もあるのではないでしょうか。
松本さん:私は宗教界のザッポスになりたいなと思っています。ザッポスは靴の通販と実店舗があり、「お客さんのことを最大限考える」ことが徹底されています。店舗にお客さんが欲しい靴がなければ、別の会社の靴を買ってきて「何とか見つけてきましたよ」と渡す――。そんなザッポスの神対応、伝説的なエピソードはたくさんあります。
それができるのは、自社だけでなく他社のこともよく知っているということ。どこに何があって、どんな強みがあるのかわかっている。他社を含めた全体像の中で、自分たちがどのような価値を出すのか、というスタンスです。
私は浄土真宗ですが、いろいろな宗派のお寺に行きますし、他の宗派のお坊さんと交流もします。その中で、どこに何があるか、どこに何を求めてどんな人が来ているのかという宗教地図がわかるわけです。浄土真宗では扱う術を持っていない案件は、別の宗派のお寺を紹介することもあります。
覚張:別の宗派を紹介する、なんていうことがあるんですね。
松本さん:同じ人でもそれぞれのタイミングで求めるものは違うし、人生の浮き沈みもあります。だから、そのタイミングに合った道を紹介できればいいのかな、と。私や光明寺が記憶の片隅にでもあれば、何となくつながりは続くと思うんです。もし別の人生のタイミングで、このお寺でできることがあれば、したら良いと思いますし。
長いスパンで考えられるのが、お寺や宗教の嬉しいところかもしれません。四半期の売上を追いかけるような短期的な目線では、私が言っていることを実践するのはなかなか難しいと思いますから。
でもみなさんの仕事も変わることもありますよね。肩書で人と接しているのか、「人と人」として関係を築いているのかで、転職した後も関係性が続いたり、「○○を始めたらしいから、ちょっとお願いしてみようか」となったりします。
覚張:ビジネスでも、売り切り型ではなくサブスクリプションモデルが増えてきました。どれだけ長い期間を伴走できるか考える際、中長期的な目線や全体的な視点を持つことが大切なんですね。
宗教の要素を社会に還元する
松本さん:最近宗教的な視点で面白いなと思う事例として、「ペロトン」という企業があります。ビジネスとしてはエアロバイクを売って、オンラインでエクササイズのサービスを提供しています。まだ日本に入ってきていませんが、少し前に「現代の聖職者はエアロバイクに乗る」という記事も話題になりました。
その記事には、宗教がこれまで提供していた価値を、ペロトンがほぼ実現しており、非常に優れたビジネスモデルだと書かれていました。私もニューヨークに行ったときに体験しました。
ペロトンのエアロバイクは、前面に大きなモニターが付いており、バイクに乗りながら自分でメニューが選べます。スタジオとオンラインでつながっており、同時につながっている人たちも表示されます。みんなでやっている感覚があり、孤独ではないんです。自分の属性で絞り込めるので、SNSのフィルタリングのように自分がつながりたい人とだけ、「一緒に走っている感」も出せます。
これまで宗教が提供してきたものは、ペロトンのように、いろいろなものに取って代わっていくんだろうなと感じます。宗教と宗教でないものの境界線も曖昧になっていくはずです。宗教と言わないけれど「宗教っぽいもの」など、いろいろ出てきていますよね。
覚張:宗教的な要素を持つサブスクリプションモデルというわけですね。
松本さん:今日のテーマとつながるかわかりませんが、やっとビジネスも長い目で見ることの重要性に気づき始めた感があります。短いサイクルでビジネスを回していった結果、地球が耐えきれなくなったわけです。
「人類の寿命が100歳になった、良かったね!」ではなく、人類の寿命が延びても、地球の寿命が100年もないかもしれない。そうなると当然ビジネスは成立しませんよね。
日本は遅れをとっていますが、世界の流れとしては、あらゆる分野で「サステナビリティ」が重要かつ中心的なトピックになりつつあります。若い世代の関心も、その仕事に自分がコミットするか否かは報酬ではなく、サステナビリティが重要な基準になりつつあるのです。
仏教は長い目でものを見ることをずっとやってきました。より大きい、長い視点をどう持つか?――やっと仏教がまっとうな形で、社会に貢献できるかもしれないと思い始めています。長期的な視点は、世界をどう見るか、地球規模の問題を考える際にも役立つ、欠かせないものになっていくと思います。
自分との関係性、自己決定、出番の有無とサステナビリティが重要
コミュニティや企業はカルト的になる可能性を秘めている――。そう聞いてハッとさせられました。無意識のうちに「会社へ依存」している自分の態度に気づいたからです。
松本さんの穏やかな語り口の中には、組織・コミュニティづくりを考えるうえでの示唆がたくさん含まれていました。特にふたつ目のテーマ「人が集まる場づくりにおいて重要なことは?」で語られた4つのポイント――共通項を意識させること、自己決定できること、出番があること、続けることは、企業における従業員エンゲージメントを高めるためにも、非常に重要なことだと感じました。
出番があるから居場所になる。裏を返せば、自分の強みを発揮する場のない組織は、居場所とは思えないということ。コミュニティマネージャーやインナーブランディング、組織と個人の関係性に課題を感じている人たちにとって、大きなヒントになったのではないでしょうか。(編集部)