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ミレニアル世代(1980〜2000年生まれ)の若手PRパーソンは、日々どんなことを想い、どんな感覚をもってPublic Relationsを体現しているのか——。
PR Table Communityでは、さまざまなステークホルダーとの関係構築に力を注いでいる人たちにフォーカスしていきます。
これからのPRパーソンは、社会の中で多様な役割を果たしていくことができるはず。
彼・彼女らがいま取り組んでいること、感じている課題、これからの在り方など、リアルな声をぜひ、聞いてください。
きっと、次世代に求められるPublic Relationsの在り方——「PR 3.0」につながる道が見えてくるはずです。
Profile
片山 悠 Yu Katayama
1987年生まれ。大学卒業後、総合PRエージェンシーに入社。大型商業施設の開業PR、地方自治体の観光PR、移住促進PR、農水産物PRなどに携わる。2016年にはプロジェクトリーダーを務めた案件で、日本パブリックリレーションズ協会主催の「PRアワードグランプリ」シルバーを受賞。2017年2月にメルカリへ入社し、PRグループに所属。
もっと高みを目指すため、徹底的に打ちのめされたかった
― 今やあらゆるメディアで目にしない日がないくらい話題の多いメルカリですが、片山さんはいつからPR担当を務めているのですか?
片山悠さん(以下、敬称略):メルカリに入社したのは、2017年2月のことです。その前は総合PRエージェンシーで4年ほど働いていました。
そこでは、主に地方自治体のPRを担当していました。地方自治体に限ったことではありませんが、広報担当のお客さまでも十分なPRのスキル・ノウハウを持っている方は多くありませんでした。
そうした方々に無形の価値を提供して「役に立てている」という実感があったので、エージェンシーという立場も好きでした。
― やりがいもあって、楽しめる仕事があったのに、転職に踏み切った理由は?
片山:理由は2つあります。一つ目は、これからPRパーソンとして道を極めようとする場合、「このままで良いんだろうか?」という疑問です。
エージェンシー時代の僕は人にも仕事にも恵まれていて、毎日がそれなりに充実している状態でした。でも心のどこかで、“Public Relations”というのは、そんな単純なものではない——そんな気持ちを抱くようになったんです。
その疑問の理由は、きっとコミットの度合いによるものではないだろうか、と。どの仕事も心底「自分ごと」として取り組んではいましたが、やはりどうしても、お客さまの組織体と完全に一体にはなりきれない。そんなもどかしさはありました。
― なるほど。もうひとつの理由は……?
片山: 僕はずっと、サッカーでいうところの“レアルマドリード”でプレーがしたかった。つまり、自分よりもはるかにすごいスタープレーヤーたちと、一緒に仕事がしたかったんです。もちろん前職でも、優秀な人たちはたくさんいました。ただ、もっともっと圧倒的に叩きのめされたいという気持ちがあって。
PRに限らずエンジニアなどの職種にも、第一線のメンバーが揃っている環境の中に飛び込みたい——。そして、いま一緒に働いているPRメンバーとの出会いがきっかけとなり、メルカリに転職することを決めました。
“Public Relations”は愛。そして「愛はおしゃれじゃない」
― そもそも片山さんがPRの仕事を選んだのには、何かきっかけがあるんですか?
片山: 就職活動をしていたときに、とあるメディア関係者との集まりに参加したことがありました。そこで、あるセールスプロモーション会社の方に、「自分の会社でPR事業を立ち上げるんだけど興味ある?」と声をかけられたんです。
それをきっかけにして調べていくうちに、「PRの仕事は、自分がやりたいことに近いのではないか」と感じるようになりました。
当初はどちらかといえば広告に興味があったんです。コピーライティングなど、表現の力で人の心を動かす仕事に惹かれて。でもPublic Relationsの概念は、より広域かつ実際的だと思いました。それを追求することで、本質的なコミュニケーション課題に挑戦できるようになるのではないか、と。
僕はPublic Relationsの概念と出会った瞬間に、もうものすごく夢中になってしまったんです(笑) 今も、PR以外の仕事に就く考えはありません。
なんというか……Public Relationsとは、「愛」だと思うんですよね。
― 愛、ですか?
片山: はい。「恋」であれば、例えばデートのときだけ、相手を楽しませることを考えればいいかもしれない。でも「愛」は、ときには相手のことを想って耳の痛いことも伝えたり、長く深く続いていく関係のためにあらゆるコミュニケーションをとったりすることだと思うんです。
それと同じで、華やかで刹那的なビッグアイデアだけではなく、小さくても継続的なつながりが大切になってきたと思っていて。
そんなことを考えていた時期に、岡村靖幸さんの『愛はおしゃれじゃない』という曲を聴いて、「確かにそうだよな」と。「Public Relationsは愛」という大前提に対し、「愛はおしゃれじゃない」という小前提があると、「Public Relationsはおしゃれじゃない」という結論が三段論法的に導けるわけです。
PRの本質は、おしゃれなことばかりではありません。とても地道な営みが、多くを占めるものですから。
― なるほど……! それを実務の中で実感されることはありますか?
片山: 例えば、当社にはフリマアプリ「メルカリ」を使ってくださっているお客さまのお問い合わせなどに対応する、カスタマーサポート部門があります。実は国内で600名ほど(*2018年2月現在)在籍している社員のうち、半数以上がカスタマーサポートのメンバーなんです。
部署としてはPRではなく、「カスタマーサポート」かもしれない。
しかし、お客さまの不安を取り除いたり、一つひとつ課題を解決したりすることは、当社にとってものすごく大切なコミュニケーションであり、プロダクトやお客さまへの「愛」にほかなりません。それ自体が、企業としての“Public Relations”=社会とのよりよい関係を構築する営みのひとつではないでしょうか。
― わかります。カスタマー・リレーションズも、エンプロイー・リレーションズ(社内広報)も、投資家向け広報(IR)も、本当は全部Public Relations=「PR」の一種なんですよね。でも日本では、PRという言葉の意味が狭くなりすぎているんじゃないかという気持ちがあります。
片山:そうなんですよね。僕は「PRプランナー」の資格を持っていますが、最近しっくりきているのは「リレーションシップ・マネージャー」という言葉です。PRはあらゆるリレーションシップをマネジメントする仕事。そう捉えてみると、自然と視座が変わってきませんか?
すべては「わかりあえないことから」始まる
― メルカリに入社してちょうど1年。感触はいかがですか?
片山: 先ほど「Public Relationsはおしゃれじゃない」という話をしましたが、まさにこの1年でその通りの経験をしてきました。かつての僕は、もっとアイデアで鮮やかにコミュニケーション課題を解決できるのがPRだと思っていたんですよ。でも実際はそればかりじゃなかった。
劇作家・平田オリザさんの『わかりあえないことから』というコミュニケーション能力に関する名著があります。このタイトルにPRの本質が凝縮されているなと。
― そもそも、人と人とはわかりあえないもの。それが前提ということでしょうか。
片山:はい。「自分のことはわかってもらえるだろう」という、ある種の傲慢さがコミュニケーション課題を生むと思うんです。でも「わかりあえない」という前提に立つと、わかってもらうための建設的なネクストステップが発想できる。
特にメルカリは、新しいサービスとそれに伴う新しい概念を生み出し、世の中に提供する会社です。新しいからこそ、大きなコミュニケーション課題に直面したこともありました。
― それは、いつ頃の出来事ですか?
片山:ひとつは僕が入社して間もない頃、メルカリで現金が額面以上で出品される問題がありました。メディアをはじめ世間からの見方も非常に厳しく、「フリマアプリは中身が見えないから危ないんじゃないか?」、「きちんと監視がされてないんじゃないか?」、「野放し状態なんじゃないか?」などといったご意見もいただきました。
当時のPRグループのメンバーは、僕を含めて3人。何が正しいのかわからない暗中模索の状況で、僕たちが出した答えは、「とにかく一つひとつ誠実に伝えていこう」ということでした。
― 具体的にはどのように対応されたのですか?
片山:例えばメディアの方から「メルカリの体制は一体どうなっているのか?」と問い合わせを受けたとき、実際に商品の監視対応をしている仙台のカスタマーサポートの拠点まで一緒に行き、その場で当社の対応をオープンにしてご案内したこともあります。
とにかく実際にお会いするなどして、誠実なコミュニケーションを意識しました。
ただそこまでやっても、実際の報道ではネガティブな論調になってしまうことも、もちろんあります。模索しながら、一生懸命に伝えたつもりでも伝わりきらない。そんなことの繰り返しでした。
自分はまだまだ力不足だと、すごく思いましたね。本当にコミュニケーションは難しいです。なかなか、完ぺきに自分たちを理解してもらうことはできない。そうした前提からスタートしなければいけないので、PRはとても地道な営みなのだと痛感しました。
自分たちでコントロールできない不確実性の中で、どう周囲と向き合っていくのか。その難しさに、ものすごい密度で向き合った1年だったと思います。自分にとっての“Public Relations”は、間違いなくこの1年の間にアップデートされましたね。
Public Relationsは最高だと、ずっと思ってきましたが……その分、本当に奥が深くて「難しすぎる!」と悲鳴をあげていた気がします。
PRの仕事は「リレーのアンカー」
― 片山さんは以前、「PRはリレーのアンカーのようなもの」という表現を使われていましたが、どういった思いから使われたのですか?
片山:誤解を恐れずにいえば、Public Relationsは誰にでもできる仕事なんです。特別な資格が必要なわけじゃないですし、突き詰めていけばすべては人と人との関係構築、コミュニケーションですから。
ただ、その「誰でもできる仕事」を、「誰にもできないレベルでやる」のが、Public Relationsに携わる者としての役割だと思っていて。
僕たちはサービスを作るわけでも、直接お客さまと接するわけでもありません。他のメンバーの仕事を受け取って、最後に世の中に対して想いを伝えていく役割。だからまさに、“リレーのアンカー”のようなものかなと。
社員の営みすべてを背負って伝えていくのが、僕たちの大事な仕事だと思うので、もうとにかく毎日ヒリヒリしています。
― 貴社では、経営においてもPRをとても重要視されているように感じます。
片山:はい。Public Relationsの考え方を実際の経営やサービスにもフィードバックさせていかないと、どんなに宣伝をしたところで、お客さまを含めて社会から愛されることはありません。
そうした意識は、今、全社的にさらに高まっていると感じます。
もっとお客さまの声を大事にしていこう、プロダクトに反映していこう……と、本気でみんなが唱えていて。全社一丸となって、みなさんから信頼され、愛される存在になろうとしています。
当社の場合は、特に経営陣がそうした危機意識を常に持っているので、それがPublic Relationsの実践につながっているのではないかと思っています。
この先ずっと、探究し続けられるPRの仕事
― Public Relationsをこれからも追求されていくのだろうな……と思いますが、あらためて今後の展望について教えてください。
片山:実は前職の入社面接で当時の役員に「僕は、何年か働いてPRがわかってきたら、アメリカの大学院に留学して研究したいくらいPRが好きです!」と語ったことがあるんです。
そうしたら、20年以上もPRの世界にいるその人が、「いやぁ、きっと10年たってもわからないよ」とおっしゃって。
僕はこの言葉を聞いてPRを生業にしたいと思ったんですけど、まさに今、あのときの言葉を噛みしめているんですよね。
人を中心としたコミュニケーションがPublic Relationsだと考えていますが、情報接触の仕方など、人間の在り方は時代とともに変わり続けます。だからこの先、きっと何十年たっても「PRを会得したぞ!」という気持ちにはならないでしょうね。
この仕事を極めたと感じる瞬間は永遠にこないのかと思うと……まあ、ときどき絶望しそうになることもありますが(笑) 逆に考えれば、それは一生探求できるということでもあります。僕にとって、Public Relationsはそうした希望の対象でもあるんです。
やはり僕にとってPublic Relationsは「愛」そのものなので、その愛をどう実らせるのか、これからも考え続けていきたいと思っています。
小さい“一歩”の積み重ねがPRの道
話を聞けば聞くほど、片山さんのPublic Relationsへの想いに吸い込まれていくような取材でした。人と人がいる限りコミュニケーションはなくならない。最初からわかり合えないと思ってコミュニケーションを取るというのは、辛く険しい道を行かなければならない場合も多いんじゃないかなと感じます。それでも、魅せられていくPublic Relationsの世界を、みなさんと探究していけたらと思います。