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「企業のPublic Relations は社会へのギフトである」 PR映画から紐解く企業コミュニケーションのあり方——イベントレポート#12

INDEX

現在の動画ブームと、1950年代につくられた「産業映画」には共通点がある——。

Public Relationsを歴史社会学の観点から研究する、河炅珍先生(広島市立大学・広島平和研究所 / 准教授)はそう考察しています。インタビューを通じ、私たちはPRの歴史的な側面にふれました。

そしてちょうど先日、SNSを中心に一篇の短編ドラマが話題になりました。『青葉家のテーブル』——人気ECサイト「北欧、暮らしの道具店」を営む、株式会社クラシコムが製作した企業オリジナルのドラマです。

2018年のいま、企業が仕掛ける「動画」を切り口に、PRのルーツを探ってみたい。

2018年9月29日のPR Table Communityイベント第12弾は、東京大学大学院情報学環 吉見俊哉研究室との共催。東京大学 福武ホールにて、「戦後の産業映画/PR映画から紐解く、新時代の企業コミュニケーションのあり方」を開催しました。

吉見俊哉先生(東京大学大学院情報学環教授)のスピーチで幕を開けたこのイベント。

まずは参加者全員で、50年代の産業映画『おやじの日曜日』(※1)と、今年公開された前述の『青葉家のテーブル』(※2)を鑑賞。それぞれのストーリーについて、河先生、クラシコム代表取締役の青木耕平さんに解説いただきました。

イベント後半では河先生、青木さんに加えて、明石ガクトさん(ワンメディア株式会社代表取締役)をモデレーターに迎え、映像を介した企業コミュニケーションや新時代のフォーマットについて、Public Relationsの観点から議論を交わしていただきました。

今回は、このパネルディスカッションの模様をダイジェストでお届けします。

——–

※1)
『おやじの日曜日』(1959、白黒、29分、企画:新生活運動協会、協賛:石川島播磨重工業、製作:桜映画社)

※2)
『青葉家のテーブル』(2018、17分、企画・製作:株式会社クラシコム)

 

Guest

青木 耕平さん Kohei Aoki

株式会社クラシコム 代表取締役
1972年生まれ。2006年、実妹と株式会社クラシコム共同創業。2007年秋より北欧雑貨専門のECサイト『北欧、暮らしの道具店』を開業。現在は北欧雑貨のEC事業のみならず、オリジナル商品開発販売、広告、出版、オリジナルドラマ製作など、多岐にわたるライフスタイル事業を展開中。

――

河 炅珍さん Kyungjin Ha

広島市立大学・広島平和研究所 / 准教授
1982年、韓国生まれ。韓国梨花女子大学卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。東京大学大学院情報学環助教を経て、2018年10月より現職。専門は、社会学、メディア・コミュニケーション研究。主な著書・論文に、『パブリック・リレーションズの歴史社会学』(2017、岩波書店)、「パブリック・リレーションズの条件――20世紀初頭のアメリカ社会を通じて」『思想』1070号(2013)など。

――

Moderator

明石 ガクトさん Gakuto Akashi

ONE MEDEIA代表取締役
2014年6月、ミレニアル世代をターゲットにした新しい動画表現を追求するべくONE MEDIAを創業。独自の動画論をベースに各SNSプラットフォームのコンテンツパートナーとして動画を配信、圧倒的なエンゲージメントを達成している。2018年からショートフィルム製作や山手線デジタルサイネージでのコンテンツ展開も行い、モバイル以外の領域にもその活動を広げている。ONE MEDIAでは、2018年8月より大きなリニューアルを行い、IGTVに特化したオリジナル番組をローンチさせた。個人の活動としても、2018年アドテック東京にて「Brand Summit Best Presenter Award」を受賞。NewsPicks Bookから自身初となる著書『動画2.0』を出版。

 

「1950年代」と「2010年代」企業コミュニケーションの共通点

明石:PRについて知りたい。映像や動画について聞きたい。なんとなく土曜の昼にアカデミックな時間を過ごしたい。など、みなさん、それぞれ目的があって参加されているかと思うんですね。

今日はまさに、「戦後の産業映画/PR映画から紐解く、新時代の企業コミュニケーションのあり方」という、イベントタイトルにふさわしい構成になるのでは、と感じています。

先ほど2本の映画を皆さんと一緒に見たわけですが、共通点が多く面白かったですよね。

『おやじの日曜日』も『青葉家のテーブル』もテーマは“家族”。さらに、『おやじの日曜日』では、父親の働く会社が石川島播磨重工業という設定ですが、『青葉家のテーブル』にもそうした裏設定があるんですよね。

青木:そうなんです。『青葉家のテーブル』で西田尚美さんが演じる⻘葉春⼦は、クラシコムで働いているという設定です。

明石:1950年代の『おやじの日曜日』も、2010年代の『青葉家のテーブル』も、会社と家族の拡大、ライフスタイルの解釈がアップデートされています。

もちろん世代が違うので、クリエイティブの手法は異なるのですが、大きなテーマは変わらないな、と。河先生は『青葉家のテーブル』をご覧になってどう解釈されましたか?

:『おやじの日曜日』は「父」を含む6人家族、典型的な家族構成です。一方、『青葉家のテーブル』は今どきの家族ですよね。シングルマザーの春子が、息⼦と、結婚式で知り合った友達とその彼⽒と一緒に暮らして家族をつくっています。

みなさんも感じられたかと思うんですけど、当然ながら1950年代と今の家族って形態が違いますよね。1950年代だと、血縁がある、血がつながっていることが家族の基本的な条件でしたが、今はそういう時代ではありません。

『青葉家のテーブル』で私がすごく刺激を受けたのは、家族とはどうやって成り立つのかを映像で見せているところ。それは何かと言うと、「一緒に食べること」、そして「話をすること」です。

高度成長期と産業社会において、核家族化が進み、「うちの家族」が連想させる共同体がどんどん小さくなってきたのが、この時代になって改めて、別の形で膨張している。家族とは、一緒に食べること、一緒に暮らすこと。これに尽きるということが共通点としてあると思います。

青木:確かに。

明石:青葉家って、ちょっと変わった家族構成ですよね。初見の人には分かりにくいと思うので、映像ができあがるまでの背景も含めて話をしていただいてもいいですか?

▲クラシコム代表取締役の青木耕平さん

 

青木:そうですね。僕ら(クラシコム)は「フィットする暮らし、つくろう。」を会社のビジョンに掲げているんですね。この「フィットする暮らし」ってどういうことかというと、端的に言えば、それぞれの快適さを追求しましょうということです。

ここを「豊かな暮らし」とか「幸福な暮らし」とかにしてしまうと、豊かさや幸福って概念なので、それぞれに違うわけじゃないですか。でも「フィットする」というのは、フィジカルな感覚で、それは多様なものであるべきなんです。

その多様な心地良さを、それぞれが追及できる社会のほうがいい。僕らも「こういうやり方がいいと思います」と発信するより、「いろいろなやり方があって、どれを選んでもその人にフィットしていれば快適ですよね」というメッセージを発信していきたい。

なので、この短編ドラマをつくる時も、僕らは監督に対して映像を通して何をやりたいのかということをどんどんプレゼンテーションしていったんです。

そうして生まれたのが、青葉家です。社会においてマジョリティとされる家族と比べると、青葉家は若干マイノリティではあるかもしれない。けれど、登場する人物それぞれがフィットした暮らしをしているんです。

明石:『おやじの日曜日』と家族像は違えど、描こうとしているテーマは同じで、働いている人の暮らしを変えていこう、考えていこうというものなのかな、と。映画を見て感じました。

青木:実は僕らの作品に、『おやじの日曜日』と同じような軸でタイトルを付けるとしたら、『おふくろの平日』になるんですよ(笑)。

『おやじの日曜日』の時代と、僕らが今生きている時代で、人々が求めているもののうち大きく異なるものがあるんです。それは、“非日常”の存在。

昔は、たまの非日常・大きめの非日常、要するにレジャーが求められる時代でした。今は、たまの・大きめのではなく、毎日ちょっとずつの非日常を人々は求めています。

だから、『青葉家のテーブル』では日常の中にあるちょっとした非日常を描くようにしたんです。たまの贅沢じゃなく、日々の贅沢へと変わっていっているということに対して、コンテンツ側が自然とフィットしているという感じですね。

:そうですね。本当に青木さんがおっしゃる通りです。同じ“家族”を扱っていても、家族の見せ方や、家族を通して、企業もしくは制作者が描きたかったものはまったく違っていて、そこがすごく面白いですよね。

青木さんが昔と今で求められるものの違いをおっしゃってくださったので、私は昔も今も通じているところは何かということをお伝えしますね。それは恋物語。2作品とも家族の他にラブストーリーが登場しているんです。

明石:あー、確かに!

:『おやじの日曜日』では、長女のせつ子と職場で「父」の部下にあたる神田くんのラブストーリーが映画の軸をなしています。『青葉家のテーブル』では、中学生のリクくんと彼の気になる同級生のその後も楽しみですよね。

▲広島市立大学・平和研究所 / 准教授の河 炅珍さん

 

PRは市場主義ではなく、経営者の課題意識から生まれる

:冒頭の講義でみなさんに、PRは「わたし」と「あなた」の間に、広告の“Buy Me(=私を買いなさい)”でも、プロパガンダの“Obey Me(=私に従いなさい)”でもない、“Love Me(=私を愛してください)”の関係性があるということをお伝えしました。

そもそもPRが広告や宣伝と同じことをやっていたら、今まで生き残っていないですし、この時代になって注目を浴びることもないと思うんですね。

PRの概念が世に生まれた背景は、19世紀末のアメリカの鉄道会社です。当時、鉄道会社は今みたいに技術が発達していないので、ものすごく事故を起こしていました。

その被害は甚大なもので、乗客はもちろん貨物の輸送手段として鉄道を利用しているクライアントにも影響を与えます。当時のアメリカは鉄道を「利益を生み出すビジネスの手段」として考えていたので、世論からも圧力がかかる。

不祥事や事故はできるだけ隠す。当時のジャーナリズムと企業の間で、この思惑が大きな摩擦になっていたのですが、それに対して、鉄道会社は持っている情報を全部出す、社会の役に立つようなネタは全部提供するということに方向転換していきました。

「うちの鉄道、良いから乗ってね」という宣伝ではなく、「うちの会社って皆さんの役に立つことをやっているんです」、「実はすごく思いやりを持っているんです」というように、イメージ挽回のメッセージを発信していったんです。

当時の産業社会がこうした新しいコミュニケーションのやり方を企業に求めたことに大きな意味があります。ここから “Love Me”、もしくは、「友達」になるような関係性が生まれ、今に至っています。

青木:PRはモノを売り、直接利益を生み出すための手段ではないんですよね。企業の商品がナンバーワンに素晴らしいものだったり、どこよりも安いものだったりしたら、実はPRって必要ない。PRをしなくてもモノは売れます。

ところが、ほとんどのビジネスパーソンは、最高でもなければ最安でもない商品を売っています。そうすると、どういう方法で動く必要があるかというと「商品を売る前に自分を売れ」です。

関係性をつくってその関係値でモノを売るしかない。PRをせざるを得ないんです。その中において、どう自分を紹介していくかということが極めて重要になってくるわけです。

『おやじの日曜日』では、会社のいいところを、映画をつくった人や企画した人が説明するシーンがありました。あの内容を、実際に社長が演台に立って、自社の自慢話を延々とするとしたら、きっともう聞いていられないですよね。

言いたいことを聞いてもらいやすくする方法の一つにフィクションがあるんです。洗練された表現方法として、フィクション動画は非常に大きなツールであると言えますね。

『青葉家のテーブル』 で西田尚美さんが着ている服は、全部僕らのオリジナル商品なんです。食器や雑貨もそう。すべてシーズンが終わって、売り切れているものをあえて使っているんです。

ドラマを見て買いたいと思ってもらいたいわけではなく、買った後の楽しみ方や買って良かったという納得感をお客様に味わってもらいたいんです。

今は消費社会だから洋服や雑貨を啓蒙する必要がない。そうではなく、「私が買ったトップス、西田さんが着ている!」というような強い実感、喜びを得る機会として、ドラマというコンテンツを作りましたね。

:私たちはコミュニケーションのことを考える時、ついつい市場主義的な考え方からスタートしてしまう傾向にあると思うんです。それは当然ですよね。成熟した消費社会でマーケットのことを抜きにして考えることはできません。

ですが、PRは市場主義的な考えではなく、経営者の問題意識から生まれるものです。PRという言葉が日本に入ってきたのは、戦後間もない時期。

当時、モノを売るよりも大きな課題がありました。それは、日本の社会そのものを立て直すことです。PR映画も、社会を立て直すような新しい価値を広めることを目的に、インフラ系の会社が数多くつくっていたんです。

PRは社会のメインストリームが崩れた時に、それを立て直す上で必要なコミュニケーション戦略からスタートしているんですね。

ただ日本は、PR研究者からすると残念ですが、歴史全体から見ると幸運なことに、1950年代以降、朝鮮戦争を契機に経済が伸張し活気づいていきます。

企業がわざわざ新しい価値を広めなくても、そこに市場ができてモノが売れていく。そうすると、多くの経営者はPRをするより「市場があるんだったら、そこをどんどん取りに行きましょう」となりますよね。

社会と企業とコミュニケーションは、作用し合っているんです。それぞれが独立して動いているものではありません。

企業コミュニケーションは「ギフト」であるべき

明石:私自身は、これからは物語が求められる時代だと感じているんですね。企業のコミュニケーションにおいて「動画」の活用は、認知だけでなくその先の共感にアンテナを張っているのかな、と。まず、青木さんはどう思いますか?

▲ONE MEDEIA代表取締役の明石ガクトさん

 

青木:企業が自社の顧客、あるいはその先にある社会とより強い結びつきを持って、「この会社は社会にあってほしい」と思ってもらえるためにすべきことって、“ギフト”だと思うんですね。

先に会社のほうが、社会やお客様、潜在的なお客様に対して何かプレゼントするっていうことがとても重要だな、と。

1950年代、『おやじの日曜日』が上映された時代はまだテレビが普及していない。おそらく映像作品をつくる会社が大規模に投資できる状態ではなかったので、コンテンツが不足していた。だから、会社が自前の予算で映像作品を提供するということがギフトだったんです。

例えばテレビCMの最も重要なプレゼントの要素って何があるのかなと考えた時に、好きなタレントさんを見せてくれる、ということじゃないかな、と。

動画というところに話を転じると、長年、動画マーケットは、高コストで質も非常に高い商業ベースのものと、質が低いわけではないけれど低予算でつくられたものとに二極化しているんですね。

なので、今この時期においては、おそらく製作費を抑えなくてよい企業が、パブリック・リレーションズの手段として、中間層を埋めにいくということに価値がありますよね。

企業ではなくコンテンツクリエイターや配給会社が、僕らがつくっているようなドラマを自分たちでつくり、しかも収益を上げるというモデルができれば、企業広報の一環としての取り組みは相対的に減っていくように思います。

:そうしたらきっと企業は、違うメディアを開拓しにいくと思うんですよね。

青木:そう。そうです。

:今の話を聞いて、体系化・戦略化されたコミュニケーションを考える時、いくつかの軸で考えたほうが面白いなと思いました。

ひとつは青木さんが、最近のメディア側の意見と、企業の戦略的な考えをおっしゃってくださったんですけど、このふたつは、ある時期まではひとつに重なっているように見えることもあります。

時代と社会、私たちの日常におけるメディアの環境そのものが変わっていくと、またメディア戦略が変わっていくんです。みなさん、1950年代に日本でテレビが一般家庭に普及したきっかけってご存知ですか?

青木:皇太子殿下のご成婚パレード?

:そうです。それと1964年の東京オリンピック。それまでは、みんなにとって、メディア体験、特に「動く画像を見る」ということは非日常だったんです。だから街頭テレビの前に多くの人が集まっていました。

青木さんがおっしゃるように、企業は自分たちが先にコンテンツをつくって、提供する、プレゼントする。そういう考え方で、PR映画というメディアに力を入れてきたと思うんです。

▲短編ドラマ『青葉家のテーブル』鑑賞のようす

 

というのも当時、PRを根付かせようとしていたアクターの中に日本証券投資協会という組織がありました。証券投資協会はより健全な企業体をつくっていくために、経営者達を啓蒙するわけなんです。

1950年代にこの協会がつくったPR講座のプログラムがあるんですけれども、それを見ていくと、映画をたくさん試写しています。各社でつくった映画を持ち寄って、それを経営者同士で見て議論を交わすようなプログラムもあります。

このことから、戦後のPR映画は経営者にとって単なる遊びなどではなくて、これでやるしかないという、社会的な、視覚的なメディア体験を経ての戦略だったことが推測できます。

明石:今日見た2本のPR映画って、何かプロダクトのものの向こう側にある、土台になっているシーンを底上げしようという気がしていて。

そこが今の15秒、30秒という枠に縛られているテレビCMと、もっと柔軟にできる動画っていうものの違いにあって、その動画になった部分が戦後のPR映画に近いんじゃないかな、という気がしますね。

企業コミュニケーションのフォーマットは、これからどうなる?

明石:さて、そして2020年以降、企業コミュニケーションの主役になりうる「フォーマット(=様式美)」とは? というトピックスに移るわけですが。

青木:僕は、世の中に足りていないものを、収益を度外視してもギフトするのもパブリック・リレーションズだと思うんですね。個人的には、2020年以降は「紙の本」だと思っています。

今は電子媒体に流れていますが、電子で読みたいというよりは、紙でつくりにくくなっているという供給者サイドの都合があるだけで、需要サイドは変わらず雑誌を紙で読みたい、小説を本で読みたいというニーズが存在し続けていますから。

:企業のPRをどういう形でやってきたのかを見ていくと、アメリカも日本も、おそらく他の国もそうだと思うんですけれども、紙媒体と映像媒体の組み合わせでひとつの定型的なパターンをつくっていますよね。

それにプラス、博物館などの空間的なメディアがあると思います。昔だったらパビリオン的なもの、電力会社だったらダムや発電所ですね。そういうメディアをバランス良く使いながら、それぞれちょっとずつ違いながらも、統一性のある世界を構築していたんです。

明石:なるほど。そんな中、文字で語らずとも絵の中で見せられるのが映像の良さなのかな、と私は思うんですけど、それを使って、どういうフォーマット(=様式美)でやっていくのが良いのか、おうかがいしたいです。

青木:『おやじの日曜日』も『青葉家のテーブル』も共通点があって、ストーリー展開がご都合主義なんですよ。

今の時代、人々が高く評価するものは、ご都合主義じゃなくリアリズムやリアリティ思考ですよね。ところが需給のバランスを考えると、リアリティ追及が行き過ぎていて、ファンタジーが足りていないんです。

世の中に提供されている物語の大半って、たとえば、「結婚しました。ハッピーエンド」とか、「優勝しました。ハッピーエンド」みたいに締めくくられていて、そのあとの人生がもう1回ハッピーエンドになるストーリーってあまりないですよね。

実は、僕らが提供しているコンテンツの中で今人気の高いものが、美しい白髪の女性の暮らしぶりを紹介するコンテンツなんです。読んでいるのは30代から40代の女性です。

つまり、彼女たちにとって「美しい白髪の女性の暮らし」はエピソード2で、物語がもう1回ハッピーエンドを迎えるのを待っているということなんです。

だらか、僕らとしてはエピソード2のハッピーエンドの物語をどうつくっていくか、というのは大きなテーマで。これは映像に限らずやっていきたいコンテンツですね。

:面白いですね。私は、メディアもコミュニケーションも、時代によって違う形をしているものなので、パブリック・リレーションズだけでなく、コミュニケーションの様式から考えたほうが良い気がしています。

その上で、物語へといざなうことが大きな鍵になると感じます。

戦後のPR映画・産業映画の話をするときに、研究者の間では記録映画・開発映画が主流であるという認識がかなりあります。実際に、どういう映画がつくられたのか発掘していくと、タイトルからして、いかにもこれは劇映画じゃないかというものも数多くあるんです。

なぜ、企業はフィクション、それこそファンタジーをつくってきたのか。それは、新しい価値観を伝える、見せるためですよね。そこにあるものを記録するだけでは、新しい価値を見せることができません。

明石:企業がリスペクトしている価値観と、それを信じている人たちの間のコンテクストをビジュアルにしていくのがPR映画の果たす役割なのかもしれないですね。

それぞれの時代背景とパブリック・リレーションズ

商品でいっぱいのドラマの世界を前に、河さんは「クラシコムさんは、“Recognize Me(=私を認めてください)”の前に、「あなたの価値観はすごくいいね」と、先にお客様の価値観を認めている」と分析されていました。戦後すぐの1950年代と、消費社会そのものが飽和状態にある2010年代。両者の社会構造はよく似ているそうです。

PRの歴史と社会背景を紐づけて振り返ることで、自ずと企業コミュニケーションのフォーマットが見えてくる。歴史と社会の変遷を見つめるPRの研究者と、現在地でパブリック・リレーションズを実践するふたりの経営者。それぞれの視点が交錯してアカデミックな議論が繰り広げられ、とても刺激的なイベントとなりました。(編集部)