PRの舞台は政治から民間企業へ—— パブリック・リレーションズの歴史をたどってみる【vol.2】
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自分が関わっている仕事は、どのくらい昔からあったのか。そもそも発祥の地はどこなのか。どんな経緯、どんな背景があって、現代に受け継がれてきたのか——。考えてみたことがあるでしょうか? 日々、私たちが当たり前のようにふれていること。すべてのものごとには必ず、なんらかの”歴史”があるものです。
もちろん、パブリック・リレーションズ(PR)にも。
目の前の仕事に一生懸命になっていると、なかなか過去を振り返っている余裕はないかもしれない。でも私たちが歩んでいる1本の細い道は、たしかに過去から現在へとつながれてきたもの。そこには、たくさんの資産があると思うんです。この道を切り拓いてきた先人の想いだったり、思いがけない起源や背景だったり。
そして、そうした歴史をたどることで、きっとこの先の未来が一体どっちに向かっていくのか……その道筋を示してくれる、ささやかなヒントも得られるはず。
ではご一緒に、PRの歴史をたどる旅をはじめましょう——。
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PRの発祥は19世紀のアメリカ—— パブリック・リレーションズの歴史をたどってみる【vol.1】
政治から民間企業へ広がるパブリック・リレーションズ
19世紀のアメリカにて、主に政治の分野で活用されるようになったパブリック・リレーションズ。しかし19世紀後半になると、民間企業が広報部門を次々と立ち上げていきます。
当時のアメリカは、経済面でも大きな過渡期にありました。急速な工業化が進むとともに、鉄道など交通インフラも整いつつあったためです。都市部に人口が集中しはじめ、世界中から大量に移民も流入し、国内の市場が大きく変貌を遂げます。
そこで急激に広まりはじめたのが、深刻な経済格差。資本家と労働者の間で、対立が起きるようになったのだそうです。新聞が、双方の対立をセンセーショナルに煽ることもありました。
もう、民間企業が成長していくためには、一般民衆と向き合わざるを得ない状況が生まれはじめていたのです。
事業を維持・成長させるための自社発信
広報部門設立にいち早く動いたのは、鉄道や電力など公共サービスを手がける大手企業だったそうです。その背景には、政府規制への対抗がありました。
当時の米連邦政府は、公共サービスを行う企業の国営化を目指していました。鉄道会社や電力会社が広報部門を設置しはじめたのは、そうした動きに対抗する目的があったのです。
つまり、民間企業による公共サービス提供が重要であることやその正当性を、自社発信で社会に対して伝えていかなければならなかったということですね。
企業がステークホルダーに自社のメッセージを伝え、理解や支持を求める。まさに「パブリック・リレーションズ」の手法です。
そこで活躍していたのが、新聞への記事掲載や広告出稿などを担っていた広報エージェントでした。
パブリック・リレーションズの礎を築いた男
当時活躍していた広報エージェントのひとりに、アイビー・リー(Ivy Lee, 1865-1934)がいます。彼は「パブリック・リレーションズのパイオニア」「近代PRの父」と呼ばれる人物。20世紀初頭、さまざまな仕事を通してパブリック・リレーションズの礎を築き上げました。
アイビー・リーは、もともと新聞記者をしていたそうです。記者としての活動を繰り返す中で、企業にとって、社会に対するオープンで透明性のある情報発信が重要だと感じるようになったのだとか……。
彼は1904年に、アメリカで3番目となるPR会社『パーカー&リー社』を設立。広報エージェントとして、さまざまな活動を展開していくことになりました。
今日のパブリック・リレーションズのあり方に大きな影響を与えたアイビー・リーの足跡を、次回、もう少し詳しく辿ってみたいと思います。
——— vol.3につづきます————
<参考文献>
河西仁(2016)『アイビー・リー -世界初の広報・PR業務-』 同友館.
猪狩誠也(2007)『広報・パブリックリレーションズ入門』 宣伝会議.
井之上喬(2006)『パブリック リレーションズ 戦略広報を実現するリレーションシップ マネジメント』 日本評論社.