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井之上PR 尾上玲円奈さん「PR業界はまだまだ未成熟。だからこそ、PRパーソンとしてやるべきことは大いにある」

INDEX

ミレニアル世代(1980〜2000年生まれ)の若手PRパーソンは、日々どんなことを想い、どんな感覚をもってPublic Relationsを体現しているのか——。

PR Table Communityでは、さまざまなステークホルダーとの関係構築に力を注いでいる人たちにフォーカスしていきます。

これからのPRパーソンは、社会の中で多様な役割を果たしていくことができるはず。

彼・彼女らがいま取り組んでいること、感じている課題、これからの在り方など、リアルな声をぜひ、聞いてください。

きっと、次世代に求められるPublic Relationsの在り方——「PR 3.0」につながる道が見えてくるはずです。

1970年に設立された株式会社井之上パブリックリレーションズは、業界のパイオニアとして成長を続けてきた独立系のPR会社。コーポレート・パブリック・リレーションズやガバメント・リレーションズなど、高度なPR戦略の策定・運用に定評があります。そんな同社で30代にして執行役員を務める尾上さんは、新卒で入局したNHKから転職し、数々の企業のクライアント・リレーションズに携わっています。今回は尾上さん自身のキャリアをたどりながら、企業におけるPublic Relationsのあり方と、それに関わる人の目指す方向性を探ります。(※所属・職位は、インタビュー当時/20189月)


Profile
尾上 玲円奈さん Reona Onoue

株式会社井之上パブリックリレーションズ 執行役員
2005年早稲田大学政治経済学部卒業。新卒でNHKに入局後、島根県松江局に赴任。隠岐島の産婦人科医不在問題などをスクープし、大きな反響を呼ぶ。2年間同社に勤めた後、2007年に井之上パブリックリレーションズに入社。現在は執行役員として活躍。


現場取材でつかんだ特ダネがPRの原点

― 尾上さんはもともと、新卒でNHKへ入られたのですね。

尾上玲円奈さん(以下、敬称略):そうですね、島根県の松江放送局に勤めていました。でも、そもそも大学の時にメディアに行こうとはあまり思っていなかったんですよ。もっと大きな枠組みというか、ざっくり「社会を良くしたい」という思いがありました。

卒業後にロースクールに行くか、就職するかで迷っていたんです。法曹の資格を取るか……就職するにも若いうちから権限を持ってバリバリ活躍できるところに行きたかったので、内定をもらっていた外資系コンサルや金融会社か、広告会社か……NHKはいちばん行く気がなかったかもしれない(笑)。

それで当時、大学でとっていた授業の担当教授である井之上(井之上喬氏/現・井之上PR 代表取締役会長兼CEO)に相談したんです。すると、「NHKに行ったほうがいい」と。

うちの父親も編集者なんですけど、やっぱりNHKをすすめられたんです。大人たちがなぜそこまでNHKを勧めるのか、内定式に行くと面白そうな同期がたくさんいて行ってみようか、となりました。

― 記者としての仕事はいかがでしたか。

尾上:地方局なので記者の数も限られていて、ひたすら企画を作って、取材して、放映して……といった毎日でした。もし自分が特ダネを取ってきたら、ずっとそれに関わることができたので、楽しかったですよ。

たとえば、「隠岐島から産婦人科医がいなくなる」という特ダネを取ってきたことがありました。島の人たちが困っている現状を広く知らしめて解決に向かわせるには、全国的に注目されるニュースにしなくてはならない。最初の特ダネの後も町長や病院長だけでなく島の妊婦さんたちと人間関係を作り、特ダネを取り続けて全国ニュースとして何度も扱わせてもらいました。最終的には国会でも審議され、離島の妊婦を支援する法律ができたりしました。

大学生のとき、就職のアドバイスをもらった井之上からも「ニュース観たよ」などとたびたび電話がかかってきて。 PR的な観点からアドバイスをもらって、県内だけでなく厚生労働省や日本医師会など、よりマクロな視点で取材して、そもそも制度や政策など構造的な問題があるのでは、というところまで広げていけた。非常に勉強になりましたね。

ただ、入局して2年経ったとき、人生について考えるようになりました。NHKで東京に戻るためには、少なくとも地方局にあと4、5年はいなきゃいけないけれど、そのときにはもう30歳前後。

そもそも記者だけで人生を終えるつもりもなかったし、これからどうやってインパクトのある仕事ができるだろう? と考えていたときに、「うちに来ないか」と井之上から誘いがあったんです。

― 卒業してからもずっと、井之上会長とはコンタクトを取っていたんですね。

尾上:井之上の講義を受けるまで、「PR」の正式名が「Public Relations」であることすら、知らなかったんですよ。

大学4年生になって、残りの単位をどうするか、というときにシラバスを眺めていたら、そこだけびっしり文章が書かれた講義があって。受講してみたら、「パブリック・リレーションズに対する熱い想いを持っている先生だな」という印象でした。それから、インターンとしても起用してもらい、卒業まで1年近く勤めました。

― では、井之上会長は、尾上さんが学生の頃から目をかけられていたのかもしれませんね。

尾上:「イヤになったら、うちに来ればいいよ」とは、当時から言ってもらっていましたね。最初は「ありがとうございます」とだけ言っていたんですけど。

井之上パブリックリレーションズは一貫して新卒採用をしていないので、インターン生たちも他の会社に就職していくんです。

僕自身、NHKで取材する際に警察や官公庁、企業の広報担当の方とやりとりしていましたけど、基本的にはみんなゲートキープ的な仕事で手一杯なように見えましたし、組織によっては広報担当すらいない、というところもありました。企業や組織側にはPR的な観点でしっかりと戦略を組み立てたり、実行できる人は多くないんだな、ということがわかりました。

こうすればもっとニュースになるのに、と感じていましたし、実際にそれを言葉にすることもありましたね。「Public Relationsを勉強して、情報の受け方、出し方をきちんと意識したほうがいい」と。

感じていた業界への憤り。“言う”だけではなく“やる”こと

― その後、井之上パブリックリレーションズへ入社されたわけですが、PRの仕事の感触はいかがでしたか。

尾上:そうですね。当時PR業界に来て感じたのは、実はかっちりとした理論もないし、これがいいのか悪いのか、判断基準も曖昧で議論すべき余地が沢山あるということ。メディアと比べ人材も圧倒的に足りていない。

それは逆に、ここでやるべきことが大いにある、ということだと思いました。

入社したばかりのころ、先輩の横について仕事を学んでいったんですけど……当時私が配属されたセクションでは、まだ受注対応型な仕事も少し残っていましたね。

クライアントの要望に対応しているだけで、それは果たして、プロフェッショナルなんだろうか、と感じていました。確かに「PRファーム」とは言うけど、僕たちの仕事は単なる代理業ではありませんから、もっと戦略的に、アドバイザーとして関わるべきなんじゃないか、と。

― 当時のお仕事で、印象に残っていることはありますか?

とあるクライアントの仕事を担当したとき、相手側のPR担当者も外資系大手PRエージェンシーの出身者だったことがありました。お互いにこれまでのやり方にこだわらず、ふたりでそれまでの仕事や慣習を全て見直し、相当テコ入れしたんです。

「この仕事は意味ないから外す」「この出稿は増やす」「ここに注力する」とか、率直な意見を言い合って、契約関係を全部組み直して。そうしたら、パフォーマンスが前年比の2.6倍になったんですよ。

― 2.6倍! すごいですね。

尾上:単純にポジティブな記事露出が増えて、年に1本もなかったテレビ報道が5、6本になった。本国からも「日本ではいったいなにが起こっているんだ?」とさわぎになり、表彰されることになったんです。

そこで証明できたのが、いいタイミングできちんと情報を出せば取材してもらえるということ。ワーディング、メッセージングにこだわり、しっかり戦略を立てて実行していけば、成果は上がるということ。NHK時代に身につけていたメディア側の論理に加え、そこで“PRの基本”が実践できた気がします。

― まさに、尾上さんにとっては「インパクトをもたらした仕事」のひとつだったわけですね。

尾上:そうですね。さらにその後、日本の名だたる経営者とご一緒できたことも、本当に良い経験でした。やはり、素晴らしい経営者は常日頃から自ら先頭に立ってPublic Relationsのことを考えているんです。さらに、それぞれの経営哲学を持っていらっしゃる。

― 特に印象に残っていることはありますか?

尾上:井之上PRに入社して3年経ち、PR業界の状況にいろいろと憤りを感じていた時期にお仕事でお会いした、著名な経営者の方がいて。記者の取材の合間、ふと時間が空いた瞬間に「井之上会長が日頃から話しているような、本質的なPublic Relations を日本でもやっていきたいと考えてPR業界へ来たのに、日本の業界はまだそのレベルではないんですよ」と思わずこぼしてしまったんですよね。

そうしたら、その方がひとこと、「世の中に“言う”人はたくさんいるんですが実際に“やる”人はほとんどいない。業界を変えたければ自分が“やる”ことですよ、尾上さん」と。

確固たる信念を持ってやり抜いている人の言葉は重かったですね。それだけの説得力を感じました。

僕たちがついていれば、“嘘”なんてつかなくていい

― その後、危機管理やガバメント・リレーションズなども含め、高度な案件を数々手がけていらっしゃいますよね。コンプライアンス上、表には出せない仕事も多いかと思いますが、ターニングポイントになったような仕事はありましたか。

尾上:とある組織の企業再生案件に関わったことがありました。日本の産業をいかに守り、成長させていくかというお仕事でした。ガバメント・リレーションズの業務や危機管理、高度なメディア・リレーションズが要求されました。会長の井之上や役員陣も含めて、フルメンバーで注力したほどです。

僕が提案したコメントが、政府の公的な発信になる。責任重大だと感じました。そのときに築いた関係性や経験が、まさにいまの仕事につながっています。大変良い勉強をさせてもらいました。

― 企業における危機管理はどうしても、トラブルが発生したときにはじめて表面化し、対応策が練られる側面があると思います。非常時対応ではなく、平常時にはどんな意識をもっておくべきなのでしょうか。

尾上:非常時だけではなく、常日頃からのコミュニケーションが重要ですよね。

本質を押さえて言葉を紡ぎ出していることがとても大切です。不祥事が起きた後で、「言ってることとやってることが違う」とマイナス評価をされかねませんから。平常時のPR活動から僕たちが関わっていれば、嘘なんてつかせることなく、トラブルも未然に防げるんですけどね。

― それはまさに高度なやり取りというか、パブリック・リレーションズに基づいた判断ですね。

尾上:やはり発せられた言葉によって、もっとも影響を受ける人のことを考えなければなりません。そうすると、どういうメッセージを発するべきなのか、どんな言葉が効果的なのかが見えてくるんです。「誰に何を伝えたいのか」を考えていれば、本質からブレることもありません。

― 昨今はSNSの発達によって、思わぬ形で企業が「炎上」する事例も見受けられます。PRの領域はますます複雑になってきているように思うのですが。

尾上:特に大企業の場合、組織をすぐに再編するわけにもいかないし、大変ですよね。広報部、マーケティング部、総務部、経営企画部などと領域別に分かれているものを、横断的に対応しなくてはならないわけですから。それを内部で取りまとめるのも難しいですし、ましてや外部のPR会社と分野横断的に連携してやっていくのは難易度が高い。

一方で、ベンチャーやスタートアップは、Public Relationsの力をうまく使って、事業をレバレッジさせ、勢いよく一気に畳み掛けている。そういった傾向は強くなってきていると思います。何か都合の悪いことが起こると、脆弱な側面が出てくるケースもまだまだ多くありますが……。

「もしこの情報が明るみになったら、せっかく起業した会社が潰れてしまうのではないか」と不安になるのは無理もありません。そういうときには、いま説明責任を果たしておかないと、中長期的に大きなリスクになってしまうことを理解してもらって、「僕らがついてますから、大丈夫ですよ」と伝えて励ますようにしています。

― 危機管理において、PRパーソンが果たすべき役割は大きい、と。

尾上:ネガティブな事象が起こった際、どう対処するのかを一緒に考えることは、実はとてもクリエイティブなことだと思うんです。社会に対して説明する際、「今後は気をつけます」じゃ説得力に欠けるわけで、会社やサービスのそもそもの存在意義、問題の抜本的な解決方法や今後の対策を説明しなければ、世の中には納得してもらえません。

しっかり説明責任を果たして、難局を乗り切ることができれば、いらないぜい肉をそぎ落として筋肉質な組織へと生まれ変わることもできる。危機や不祥事から数年経って、相談に乗っていた企業が市場で評価されていると、「あのときに良い判断を重ね、やるべきことをやっておけて良かった」と皆で振り返ることができるわけです。

他領域のあらゆる人が、“PR視点”を持てば面白くなる

― 「PR業界を変える」という意気込みを抱かれていた尾上さんからみて、これからはどんな人材が必要だとお考えですか。

尾上:やりたいこと、やったほうがいいことを戦略として描ける人は増えてきていると思うんです。ただ、その戦略を実行へ移す際、今いる“PRパーソン”だけだとソリューションが限られてしまうと思っています。

経営や財務のプロだけでなく政策立案者も必要ですし、動画やコンテンツを作れるディレクター、デザイナー、デジタル周りがわかるストラテジストも必要でしょう。Public Relationsって、結局「社会との関係性をどうしていくのか?」という仕事ですから、あらゆるソリューションが考えられる。

メディア・リレーションズはもちろん、ガバメント・リレーションズ、IR、エンプロイー・リレーションズ……さまざまな領域のことをわかったうえで、多種多様な人材が関わっていければ、より強固なパブリック・リレーションズができると思っています。

― 確かにそうですね。

尾上:クリエイティブな仕事に携わる人たちがPublic Relationsの基本的な概念をわかってくれたら、もっと変わってくるのではないかと思います。

先日、カンヌライオンズに行ってきました。カンヌライオンズは、毎年6月に仏・カンヌで1週間開かれる世界最大級の規模を誇る広告賞で、2009年にはPR手法の想像性を評価するPR部門が設けられました。今年の日本勢は参加も少なく、惨憺たる状況でした。約2,000作品の中からショートリストに残った作品は3つしかなかったんです。

― どこか、日本のフォーカスしているポイントがズレてしまっているのでしょうか。

尾上:そうなのかもしれません。本来はPublic Relationsの根本的な思想そのものが、メディアやソーシャル&インフルエンサーなどカンヌライオンズの他のカテゴリーの審査においても「ど真ん中」なんです。PR以外のカテゴリーの審査委員長からも講評で「Ethics(エシックス:倫理)」や「SDGs(エスディージーズ:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)」という言葉が頻繁に出てくる。

しかも普段の活動やキャンペーンそのものが、企業の元々の存在価値や事業と密接に関わっているべきだということなんです。社会から評価されるキャンペーンでも「それは御社のビジネスやサービスと何の関係があるんですか?」と問われていたんです。

― 企業の事業成長を図るための本質的な要素として、そうした文脈や論理が重要になってきている、ということなんですね。

尾上:はい。井之上も常日頃から言っていることでもありますが、CEO、COOレベルの経営者がPublic Relationsに不可欠となる「倫理観」や「双方向性コミュニケーション」「自己修正」の重要性を認識して、主体的に組織のコミュニケーション戦略を描いていかなければならないと思います。

― PRパーソンが担う領域は本当に限りなく広がってきている。改めて、その中で指針となり得るものは何だと思いますか。

尾上:繰り返しになりますが、やはり「社会との関係性をいかに構築していくのか?」と問い続けること。関係性をより良くするため、こじれているならそれを解きほぐすために、コミュニケーションの力を使って、目的を達成していくことですよね。それとやはり、そもそも「社会の役に立っているのかどうか」ということが根底にあるんだろうなと思います。

コミュニケーションの力を信じること 、そして恐れること

放送局というファーストキャリアをもちながら、実は学生時代からPublic Relationsへの一本道が連なってきたような尾上さんのストーリー。「社会を良くしたい」という動機は、Public Relationsの行き着いた先に実現する社会とも重なります。

PRを実践するにあたって、時代の流れや価値観の変容、テクノロジーの進化など、さまざまなファクターにとらわれてしまうこともあります。しかし、とにかく「コミュニケーションによって関係性を構築する」ことを指針に挙げた尾上さんとの会話を通じ、私たちPRパーソンは、社会に対して「言葉」を放つことによる影響力を信じるとともに恐れなければいけない。もっと「コミュニケーション」を深堀りしなければならないと強く感じました。(編集部)