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「頑張る人」と「応援する人」の境界線を溶かしていきたい──FC今治・中島啓太さん

INDEX

さまざまな企業が「地方創生」を掲げる昨今、地域のステークホルダーとの関係構築、すなわちパブリック・リレーションズの重要性はますます大きくなりつつあります。そんななかで、PRパーソンは果たしてどのように地域のステークホルダーと関係を築いていけばいいのでしょうか。

今回お話を伺った中島啓太さんは、新卒でデロイト トーマツ コンサルティングに入社し、コンサルタントとして活躍した後、元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが経営する株式会社今治.夢スポーツに転職。同社は愛媛県今治市をホームタウンとするサッカークラブ「FC今治」を運営しています。

外資コンサルティング会社から、Jリーグ加盟を目指す地方のサッカーチームへの転職は、「まさにゼロからのスタートだった」という中島さん。社員や地域住民などのステークホルダーと、どのように関係を築いていったのかを紐解きながら、PRパーソンが果たすべき役割と手法について伺いました。


Profile

中島啓太 Keita Nakajima
(株)今治.夢スポーツ 経営企画室長。1990年大阪府生まれ。2012年に英国の大学を卒業後、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社に入社。2015年からは、岡田武史サッカー元日本代表監督がオーナーに就任した、FC今治の再出発(Re:Start)をコンサルタントとして支援し、2016年に転職して現在に至る。四国初のJリーグ基準のサッカー専用スタジアム(通称:夢スタ)の建設、J1対応スタジアム構想の推進などを担う傍ら、教育事業の一環として、社会変革者育成プログラム「Bari Challenge University」や、国家公務員の初任行政研修(地方創生プログラム)も統括。


ホームゲーム初戦で目にしたのは、超満員の観客席

― 中島さんがFC今治に関わることになった経緯をお聞かせください。

中島啓太さん(以下、中島):元サッカー日本代表監督を務めていた岡田武史さんが、2014年2月にデロイト トーマツ コンサルティング合同会社の特任上級顧問に就任したのですが、僕は岡田さんが社内向けにやっていた勉強会に、たまたま参加していたんです。

その後、岡田さんがFC今治のオーナーになることが明らかになり、デロイトがトップパートナーとしてコンサルタントを1名、FC今治に常駐させて支援することが決まったんです。僕はずっと岡田さんと一緒に働いてみたいと思っていたので、迷わず手を上げたところ、運良くその椅子に座ることができました。

― 岡田監督と仕事ができるのは、確かに魅力的ですね。

中島:そこから約1年間今治に常駐して、株式会社今治.夢スポーツ(以下、夢スポーツ)の再出発の支援をしました。チーム自体は岡田さんが来る前からあって、運営は地元の会社が支えていたんです。それを引き継ぎつつ、社内規定や就業規則をつくるなど、本当にゼロからのスタートでした。

夢スポーツの社員は、年代もバックグラウンドも多種多様。最初はドキドキしましたが、自分を見直すきっかけになりました。

なかでも、「ありがとうサービス.夢スタジアム®」の建設はとても大変な事業でした。というのも、プロジェクト統括に任命されたのが、転職に伴い2016年末に今治に引っ越した直後のことだったので……。翌年9月に無事こけら落としを迎えることができましたが、初めて建設予定地に行った頃は、まだ山を切り拓いている途中だったんです(笑)。

― スタジアムのような大きな建造物をつくるにあたり、地域のステークホルダーの方々の反応はどうでしたか?

中島:今治市は全面的にバックアップしてくれました。しかし、「住民みんなでFC今治を応援する」といった雰囲気にはなっていないと感じていました。おそらく、大半の人は無関心だったと思います。

― 無関心……。辛かったでしょうね。

中島:2017年当時は、無関心という以前にスタジアム建設のことを知らない人もいたと思います。今治はもともと野球が盛んな街だったこともあり、サッカーが盛り上がる雰囲気はありませんでした。

まだ岡田さんが来て2年、「岡ちゃんが何かやってるぞ」くらいのレベル。自分にとって未知の仕事に取り組むのは大変でしたが、それより何より、関心を寄せてくれる人たちが少ないという事実のほうが僕には辛かったですね。

― スタジアムができて、状況は変わりましたか?

中島:変わりましたね。大きくはふたつあります。まず、目に見える建造物ができたことで、住民のみなさんの中に「スタジアム」という言葉に対する共通のイメージができたこと。もうひとつは、こけら落としとなった2017年9月10日の試合で、スタジアムが超満員になったことです。パイプ椅子を出して、即席の観客席をつくらなければならないほどでした。

地方にはさまざまな商業施設が乱立していますが、潰れてしまうところも多い。「場」をつくり、応援する人たちが集まってくるような状態を、いかに演出できるかはとても重要です。仮に、スタジアムという「場」に対する共通のイメージができても、こけら落としに300人しか来なかったら「やっぱりダメだね」と言われるでしょう。住民のみなさんはきっと二度とは振り向いてくれませんよね。

僕らには、最初の試合を満員にし、さらに、コンスタントにお客さんに来てもらえる状態をつくるというミッションがありました。岡田さんも含め社員一丸となって集客に奔走した結果、試合の約10日前にはチケットがソールドアウト。これは、JFL(日本フットボールリーグ)史上、初めてのことだったと聞いています。

「ファクトベース」から「妄想ベース」へのパラダイムシフト

▲超満員になった夢スタジアム(写真提供:今治.夢スポーツ)

― サッカークラブは地域の人たちをいかに巻き込んで、ファン化していくかが鍵だと思います。具体的にどのようなプロセスを辿って行ったのでしょうか?

中島:そもそも僕自身は、「地域とのつながり」という言葉があまり好きではなくて。地域とのつながりの中には、当然ですが「人とのつながり」がありますよね。僕は、目の前にいる一人ひとりと関係構築を繰り返した結果、誰かがそれを「地域のつながり」と呼ぶだけなのかな、と考えています。

それを踏まえたうえでお答えすると、今治造船がユニフォームスポンサーになってくれたことは大きな出来事でした。ある日突然、社長が直々に「地元の企業として何か応援できることはないか?」と会長の岡田に電話をかけてきてくださって。

今治造船は船を組み付ける会社で、同社の周囲には組み付けるための部品を扱う会社もたくさんあり、「今治造船が応援するなら」と他の会社の方々も応援してくださるようになったんです。

他にも、IKEUCHI ORGANICが「岡田さんがFC今治のオーナーになる」というリリースが出た直後に、ホームページの問い合わせ窓口から「応援しますよ」と連絡をくださるなど、さまざまな会社が応援してくださる流れができていきました。

― 会社としての体制もまだ盤石でないなかで、なぜ2社は応援してくださったのでしょうか。

中島:今治.夢スポーツでは、「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」という企業理念を掲げ、FC今治の運営だけでなく、教育事業も展開しています。

教育事業の活動のひとつが、100人規模の学生向けインキュベーションプログラムの運営を行う「Bari Challenge University」です。ワークショップを行う際、地元企業の若手社員にファシリテーター役として入ってもらっており、IKEUCHI ORGANICの社員の方にもいらしていただいたんです。そのご縁が繋がって、会社としては2015年のシーズンから支援頂き、2017年には池内代表と一緒になってコラボタオルマフラーをつくる活動にも発展したんです。

今治造船も、テレビのドキュメンタリー番組でこの活動を社長がたまたまご覧になって、「岡田さんが、本気でこの街のために若者を育てようとしてくれているのが伝わってきた」とご連絡いただいたという経緯です。

サッカー以外のこと――僕らの場合は、地域のために教育事業を行うことが、結果的にFC今治の運営にいい影響を与えることにつながっています。2社から賛同いただくという経験を通して、僕らが掲げてきた企業理念は間違っていなかったんだな、と強く感じました。

▲Bari Challenge University(写真提供:今治.夢スポーツ)

― なぜ地域のキーパーソンの方々は応援しようと思ってくれたのだと思いますか?

中島:僕たちが本気でやるからだと思います。と言っても、当初から素晴らしい経営計画があったわけではなく、すべてが妄想スタートなんですよ。

FC今治のブランドコンセプトが「水軍」だから、スタジアムは船に見立てよう……、なんて、もしかしたらアホらしい妄想かもしれないけれど、まず口に出さなければ認知されません。認知されなければ関心を持ってもらえないし、口に出したからにはやらなければならない。結果的に、もともと山だったところを切り拓き、スタジアムを建てて、5000人の客席を満員にしました。そうやって全力で取り組んできたからこそ、少しずつ応援してくださる方が現れたんだと思います。

― スタジアムの完成が大きな転機だったにしても、完成前から協力してくれる方たちがいたのは素晴らしいですね。

中島:「目に見えない資本」に対してみなさんが協力してくれるという、ステークホルダーとの関係が構築できたことはとてもよかったと感じます。

私たちは経営理念に「心の豊かさ」を掲げていますが、実は僕自身、前職の経験上なかなか信じることができませんでした。ファクトベースで達成できるプランをつくり、一つひとつ課題を潰していくことでしか先に進めない、という考え方に縛られていた。それが今では、状況がカオスだとしてもとにかく先に進むぞ、と。これは自分の中で、大きなパラダイムシフトが起きた出来事でした。

“サスティナブルな応援”を考えながらも、目の前のことを愚直にやり続ける

― 中島さんご自身は、今後どんなことに挑戦していきたいですか?

中島:ひとつは新しいスタジアムを建てることです。今のスタジアムは5000人を収容できるサイズですが、Jリーグのライセンス基準ではJ3のカテゴリーまでしか対応していません。僕らはJリーグへの加盟を目指していますが、J1、J2で戦える要件を満たすには、新たなスタジアムの建設が必須です。

そしてもうひとつは、サスティナブルな応援のやり方を考えることですね。現在のステークホルダーとの関わり方は、「頑張る人(選手や運営スタッフ)」と「それを応援する人」という図式です。

もちろん、グッズを買ってくれたり、スタジアムに足を運んでくれたり、スポンサーになってくれたりと、今もさまざまな形で応援していただいていますが、「地域全体で支える」というムーブメントを10~20年単位で起こせなければ、サスティナブルとは言えないと思うんです。

ーサスティナブル……。具体的にはどういったことでしょうか。

中島:僕は、「頑張る人」と「応援する人」の境界線を溶かしていきたいんです。地域の人たちと一丸となってクラブを支えられるような方法を考えたいんですよね。

FC今治の試合は、地元ケーブルテレビが全試合を生中継してくれていて、スタジアムに来れない市民も、ホームゲームの15試合をすべて見ることができます。昨年、その中継を担当する制作チームのスタッフさんと話す機会があって、こんなことを言われたんです。

今治に生まれ育った自分の生涯で、プロスポーツの生中継を担当できるなんて夢にも思っていなかった。FC今治を全力で応援しているけれど、J3に上がったらDAZNが全試合中継することになり、自分たちはお役御免になってしまう。もしそうなったらすごく残念だけれど、今までゆっくり試合を見られなかった分、奥さんと子どもと一緒にシーズンパスを買って、毎試合必ず応援に行くつもりです、と。

― 胸が熱くなるお話です。

これがまさに「頑張る人」と「応援する人」の境界線が溶けたエピソードだと思います。

僕は今後もこういう事例を増やしていきたいんです。それはもしかしたら、地元の人がオーナーになることかもしれないし、僕たちのチームが今治市のサッカークラブとなることかもしれません。

あるいは、社員として仲間になってくれる人がいるかもしれないし、教育事業において協業する会社が出てくるかもしれません。

もっともっと地域に根ざしていくためには、「誰かが頑張って誰かが支える」という構図ではなく、「みんなで頑張ってみんなで支える」という組織になっていかなければならないのではないか、と考えています。

― 難しそうですが、ワクワクしますね!

中島:具体的なアクションプランを考えるのはこれからですが、僕らが持っている一番の資産は「期待感」や「夢」のようなものだと思っています。これを何かしら目に見える形で、みなさんに伝えていきたいですね。

10~20年スパンで、僕たちとステークホルダーの方々がどんな関係性を築けるか、互いに応援し合えるか。それを積み重ねた結果、誰かが「地域のつながり」と呼び始め、「地方創生」と言われるようになるものだと思います。

でも当事者である僕らが日々リアルに考えていることは、「目の前の人にどうやって喜んでもらおうか」「またスタジアムに足を運んでもらうにはどうしたらいいか」ということなんです。10年後、20年後に、ステークホルダーとの関係性がどんな風に変わっているかはわかりません。でもきっと、今と同じように目の前のことを愚直にやり続ける組織であることに変わりはないでしょうし、そうでありたいと思ってます。

「地域とのつながり」より「人とのつながり」を大事にすることで、継続的な関係構築は可能になる

「地域とのつながり」の中に、「一人ひとりとのつながり」がある――中島さんのお話を伺っていて、最も印象に残った言葉です。

「ステークホルダー」とひとくくりに捉えるのではなく、“1対1の関係”を築いていった結果、1000人ほどしか固定ファンがいなかったにも関わらず、ホームスタジアムのこけら落としとなる試合で、席数が足りなくなるほどの観客動員数を実現できたのだと感じました。

中島さんがおっしゃっていた「目には見えない資本」を扱うという使命は、あらゆる業界のPRパーソンにも共通するはず。まずは妄想レベルでもいいから口に出し、それを実現するために目の前のことを愚直にやり続ける。当たり前だと感じられるかもしれませんが、自分たち自身も本当にやり切れているのかーー。もう一度目の前にある仕事を見直してみようと強く思いました。(編集部)