ローカルメディア『IDENTITY名古屋』が切り拓く、新たなコミュニティ・リレーションズの可能性
INDEX
名古屋に暮らしている人、10人に1人はアクセスしたことがあると推計される、ローカルメディア「IDENTITY名古屋」。オープン以来の累計UU(ユニークユーザー)数は180万に達しているそうです。(*2018年2月時点)
このメディアで取り扱っているのは、地元・名古屋のおすすめスポットやグルメ・店舗情報、さまざまなイベントの案内など。その地域に暮らしている、一般の人たちが必要とする情報を軸としています。
このメディアを運営する「IDENTITY」では、ローカルメディアでの情報発信にとどまらず、地域の「産業」や「暮らし」にひもづく事業を展開しています。私たちはその取り組みに、新しい“コミュニティ・リレーションズ”の可能性を感じました。
コミュニティ・リレーションズを辞書でひいてみると、「パブリック・リレーションズ(PR)の一形態で、地域社会関係管理のこと。地域社会との間に良好な関係を維持、発展させるために企業の行う諸活動」と出てきます(※)。
「企業と地域社会との関係」とはいっても、「企業」で働く人たちと、「地域の住民」一人ひとりはイコールなはず。その“一人ひとり”に対してどのようにアプローチし、地域の活性化につなげようとしているのか……?
今回は「IDENTITY名古屋」を立ち上げたおふたりに、その活動内容についておうかがいしてきました。
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※出展:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
Profile
碇 和生さん Kazuo Ikari(写真左)
株式会社IDENTITY 共同代表取締役
大学卒業後、大手金融機関などへのWEBマーケティングのコンサルティングに従事。その後、非営利事業やスタートアップの創業を経て、複数のスタートアップで資金調達やマーケティング、新規事業立案のアドバイスを行う。2015年より名古屋で活動を開始。2016年、株式会社IDENTITY設立。
モリ ジュンヤさん Junya Mori(写真右)
株式会社IDENTITY 共同代表取締役
横浜国立大学経済学部卒。2010年『greenz.jp』編集部に参加し、副編集長を経て独立。フリーライターとしてビジネス、テクノロジー、デザインなどの領域でメディアに寄稿する他、『THE BRIDGE』等のメディアブランドの運営に関わる。2015年に編集デザインファーム「inquire」を創業し、Webメディア「UNLEASH」、ライティングを学び合うコミュニティ「sentence」を運営。IDENTITY Inc.共同代表、NPO法人soar副代表など。
たまたま暮らすことになった地域で、ローカルメディアをスタート
― まずは「IDENTETY名古屋」が生まれた経緯から教えていただけますか?
碇さん(以下、敬称略):僕はもともと東京に住んでいたのですが、訳あって、2015年から名古屋で暮らすことになったんです。正直まったく縁もゆかりもない地域だったので、岐阜県出身で地元が近いモリに、「名古屋ってどんなところ?」と相談にいったのがはじまりですね。
僕自身は学生時代から会社を作ったり、5年ほどスタートアップを経営したりと、さまざまな事業を手がけていたので、名古屋でどんな仕事をしていこうか考えていました。
― そこでローカルメディアに着目されたのはなぜだったのでしょうか。
モリ:碇から相談を受けたときに、ひとつの仮説について話をしたんです。これはよく名古屋に足を運んでいた僕自身が感じていたことなのですが、そもそも名古屋では——というより、東京以外の地域はほとんどそうかな。グルメやレジャースポットなど“レビュー系”のサービスがあまりワークしていない状況があって。
地元に帰るときに名古屋に立ち寄っても、なかなか参考になる情報が見つからないことが多かったんです。情報を出す側と受け取る側のギャップ、格差がまだまだ大きかった。
そうした状況を踏まえて、これまで自分たちが手がけてきたWebマーケティングやメディア運営のノウハウをうまくローカライズできたら、いろいろと面白い事業につながるんじゃないか、と。
碇:その話を受けて、周囲の友人の協力を得てスタートしたのが「IDENTITY名古屋」というメディアです。最初はとにかく、あまりコストをかけずにミニマムで走りはじめました。
メディア運営で蓄積したデータが、次の一歩へとつながる
― ミニマムスタートから徐々に事業を拡大し、今では読者である地域の人たちとクライアントとなる企業、双方と良好な関係性を築かれていますよね。対読者という視点でみたとき、IDENTITY名古屋のターニングポイントになった時期はありますか?
碇:スタートしてからずっと右肩上がりではあったのですが、メディアが急激に伸びたのは2017年に入ってからですね。前年比300〜400%の成長です。
2017年は名古屋自体が開発ラッシュで確変期を迎えるなど、さまざまな外部要因が重なったことも大きかったと思います。その中で僕たちはメディアとして改めて、「名古屋の人たちが本当に求めていることは何か?」を意識するようになりました。
― 本当に求めていること?
碇:運営している中で、どんな検索ワードの流入が多いのか、どの時期にどのトピックスが読まれるのか、どんなスポットの人気が高いのか——そうしたエリアの特性が、蓄積されたデータから見えてきて。それらをもとに、「トレンドを作る」方向へとさらにもう一歩、踏み込めるようになったんです。
モリ:そう、データが集まってきたからこその面白さはありますね。例えばうちの家族は、名古屋で親族が集まるイベントがあると、必ず名古屋高島屋で買い物して帰るんですけど(笑) メディアのデータを分析すると、うちだけじゃなくて割とみんな同じような行動をしていることが如実にわかるとか。
― なるほど。その地域で生活している人たちの行動や、好みなどの傾向がリアルに把握できるようになったんですね。
碇:はい。メディアを通じて蓄積したデータをもとに、本当にこの街で暮らしている人たちのためのソリューションを生み出していきたいと考えています。地元の人たちの感じている課題をあぶり出せれば、それに対するサービスが生まれる可能性も広がると思っているので。
ITには詳しくても、金属の輸入価格を僕たちは知らない
― もうひとつ、今度は対クライアントという視点からおうかがいしたいです。これまで、地元企業の方々とはどのようなコミュニケーションを取り、関係を築いてきましたか?
碇:そうですね。2015年にメディア運営をはじめ、その運営母体である「IDENTITY」を法人化したのが2016年7月。IDENTITYでは会社としての軸を「地域のデジタルシフト」に置いていて、現在は企業のWebマーケティングを担う事業がコアになっています。その基盤の上で、メディア事業やさまざまな新規事業を展開している形です。
以前からの仕事のつながりで、スタートアップやNPO界隈の人たちとはつながりがあったんです。ただ名古屋を拠点とする企業の方から問い合わせをいただくようになったのは、定期的にイベントを開催するようになってからですね。
― イベント、というのは?
碇:デジタルマーケティングやブランディングのトレンドをテーマに、ゲストを呼んでトークイベントを開いたのが最初です。名古屋のTV局やスタートアップと共同でトークイベントを実施したりしたこともありました。とにかく定期的に、リアルな場を設けて発信を続けています。
そうすると、アンテナを張っている企業の担当者がキャッチアップしてくれるんですよね。イベントの情報をきっかけに、僕たちと同じくらいか、さらに下の世代の人たちから問い合わせをもらうケースがとても多いです。
― これは偏見もあるかもしれないのですが……感度の高い人はともかく、まだまだデジタルマーケティング、Webマーケティングの仕事自体を理解してもらうことが、地方では難しい場面も多いのではないでしょうか?
碇:確かに名古屋は、長く続くものづくりのメーカーさんなどが多く、これからデジタルシフトに取り組んでいくフェーズだとは思います。
だからITやデジタルマーケティングに対する知見があまりないお客さまもいますが、きちんと数字を出して論理的に説明すれば、ほとんどの方はきちんと判断してくれますよ。
逆にいえば、僕たちはインターネットやITには詳しいけれど、例えば「銅やニッケルが、いま1トンいくらで輸入できるか」「どうやって農地を管理したら生産量が上がるか」なんてまるでわからないじゃないですか。それと同じことだと思うんですよね。
― 確かに、それはおっしゃる通りですね。
碇:「なんでこんなこともわからないんだ」と思うのではなく、共通言語なんてないのが大前提。その上で必要なコミュニケーションを一つひとつ取っていけばいいんです。そう気づいてから、仕事がスムーズに進むようになった気がします。その分、作る資料はぶ厚くなりますけどね(笑)
名古屋の人たちの「普通の暮らし」に根ざした事業へ
― IDENTITYとして、おふたりは今後、どのような事業展開を考えていますか。
モリ:メディアとしては、地元以外の人たちに対して観光情報などを発信していくのではなく、あくまでもローカルメディアとして、名古屋で暮らしている人たちの目線を大事にしていきたいと考えています。
企業でいうところの対外的なPRと、社内のコミュニケーションの境目がなくなってきているのと同じですよね。
地元に住んでいる人たちにとって本当の意味で価値がある情報は、それ以外の人たちにとっても役に立つものになるはずですから。
碇:ひとつ考えているのは、地元の人たちの「普通の暮らし」に根ざしたメディアとしてコミュニティを作っていくことです。
今、海外で広まっている「シビックテック(Civic Tech)」という動きがあります。僕たちのような民間企業が、テクノロジーを活用して身の回りの暮らしをよくしていく——例えば行政から発信している情報を、もっとわかりやすくすることができるかもしれない、とか。その他にも、いろいろな可能性があると思うんですよね。
そのコミュニティを軸にデジタルシフトを起こしていくには、まずは地元の人たちのインサイトを掘り起こし、分析していく必要があります。それを目指すうえで、効果的なのがメディアだと思っていて。今、さまざまな施策を検討しているところです。
本当の意味で「地域活性化」を実践するためのコミュニケーション
ローカルメディアの価値は、観光情報やおすすめスポットの情報を届けるだけにとどまらない。おふたりのお話から、多様なコミュニティ・リレーションズの可能性を感じました。
地域を本当の意味で活性化するために、民間企業ができること、事業展開できる余地はまだまだあるのではないでしょうか。取材中に出てきた「シビックテック」という動きにも、今後、注目していきたいところです。